- カテゴリーなし
10年前に株式会社ボディ・マインド・スピリットを設立した頃から
平たく言うと(?)いわゆる「スピリチュアル業界に参入」したわけで
突然、サイキック能力がある人たちと出会うようになってきたのでした。
様々な手法のリーディングやチャネリングで過去生などを視ることが出来る人たちや
催眠療法などで過去生退行を促していくセラピストさんたちの
個人セッションを(ご挨拶がてら)受ける機会も多くなってきて
当時は特に何の悩みも無かったので、どんな過去生があったか教えてもらっても
見せられても、「そういう人生があったんだ~」と、
まるで一つの映画を観るような、娯楽のひとつのように捉えて楽しんでいたのでした。
(瞑想の効果も1年近く信じなかったぐらい、疑い深い性質のようなので!
ちなみに瞑想の効果はいつ信じるようになったかというと、
瞑想ティーチャーになって教えた方たちに同様な現象が起きて来て、それでやっと、だったのです ^^)
それが、約7年半前に関節リウマチを発症して(当時のブログ記事はこちらをクリック☆)
そこからは、もう少し真剣に過去生を探るセッションも受けて行ったのですが
それでもどこかで「本当にそうなのかな~?」と疑いながら
面白がっている自分がいました。(つまりまだ娯楽のレベルだったということ)
昨年2月に、1年間だけ試したリウマチ薬治療の「断薬」に成功して
4月からヒップホップを始め、自転車で7駅分ぐらい走れるようになり
(その間に1作目の「世界のエリートはなぜ瞑想をするのか」を執筆し)
6月からベリーダンスを始め、7月には銀座のレストランでショーに出たり
ヒップホップのダンスライブにまで出演して動き的にも完全復活したところ
(きっとやり過ぎたのでしょう)
8月からまた新たな個所(左手首、右肘、両手の親指など)に関節炎が始まり
「グルテンのせいかな?」と食事制限で治そうとしているうちに
12月にはそれまで関節炎を起したことがある
すべての箇所(全身20か所)が激痛になっていたけれど、鎮痛剤も飲まず
「糖質のせいかな?」と、まだ特定の食品を避けることで
痛みをコントロールしながら(また実験好きでもあったので…もう終わりにします☆)
2作目の「運のよさは瞑想でつくる」を執筆し、
あとはアーユルヴェーダのオイルトリートメントを月2回受けて
<ボディ>へのアプローチのみで過ごしていたのでした。
4月になって、冬に原初音瞑想講座を受講され、その後
BODY MIND SPIRIT認定の瞑想ファシリテーターにもなられた方が
長年趣味的(?)に実践されてきた
「過去生回帰瞑想」や「エネルギーワーク瞑想」の個人セッションを
私に提供して下さるということになり
BODY MIND SPIRIT表参道サロンで受けたところ
全身20か所の痛みがそれぞれ、いずれかの過去生で損傷した箇所に対応していて
魂としての情報エネルギーそのものを解放していく必要があると分かり
かなりの分量があるので5月にも表参道でお会いする約束をしたところ
「その週末は金・土と京都でお坊さんたちとこのワークをするんですよ」
と話されて、
「私は土曜の夕方から大阪で瞑想会、翌日は瞑想講座なんですよ」
とスケジュールがシンクロして
土曜日の午前中に京都のお坊さんたちと一緒にセッションを受けることに。
京都に行く前、表参道サロンでのセッションでは
「過去生回帰瞑想」をそのかたが誘導して
全身20か所の痛みの原因となっている過去生を自分で見にいくというものでした。
私は特に、この「自分で見にいく」というタイプのセッションが
苦手だったので、どうなんだろう?とは思いましたが
目を瞑って誘導されていき、「何が見えますか?」と聞かれると
脚が見えます…。 男の人の足…。
古代のギリシャ風の編み上げたサンダルを履いてます…。
「名前は?」 オシウスです。 (名前がパッと浮かんで来てビックリしました)
「年齢は?」 …40代前半です。
「結婚していますか?」…いいえ、独身です。
「それでは今の体の痛みを作りだす原因となった出来事の30分前まで行って下さい。
何が見えますか?」 と聞かれると
ギリシャの有名な神殿が見えます。 …パルテノン神殿。
「それはどんな出来事ですか?」
パルテノン神殿の神官のトップを決めるイベントで、最終審査の日です。
それは、痛みの我慢大会のようなもので、私はライバルに負けてしまいました。
「どんなことを感じていますか?」
敗北感…、悔しさ…、絶望…、虚無感…
若い時から全人生そのキャリアにかけて神殿に尽くして来たのに
痛みに耐えられなかったが為に全てを失ってしまった…そんな感覚です。
「それではその人生が終わった時まで行ってください。何が見えますか?」
大きな岩がそびえ立っている岩場です。
私は高台から飛び降りて、ひとり孤独に死んでしまいました。
それは自殺ではなく、神官トップを決める最終審査で負けたことが悔しく
その後も究極の痛みに耐えるための修行を続けていた一環で
高台から飛び降りて全身の激痛に耐えるつもりが命を落としてしまいました。
「では死後2時間経ったオシウスさんの魂からメッセージを受け取って下さい」
なんておろかだったんだろう。
痛みを耐えることなんてどうでも良いことなのに、それで命を落とすなんて。
神官のトップを目指して競争心だけで生きてしまった。
もっと人生を楽しめば良かった。
「その魂から、あなたの痛みを解放するためのアドバイスを受け取って下さい」
今のあなたにとって痛みに耐えることとキャリアは何の関係もない。
最新の医療・薬も利用すべきところは利用するといい。
これ以上、痛みをがまんしないように。
家族との時間を大事にして、喜びの人生を歩んで行って下さい。
そこで古代ギリシャ時代のオシウスさん過去生のセッションは終わり
もうひとつの過去生を見にいったところ
ルーマニアのハンスという32才の戦士で、
敵国に捕まっても拷問に屈せず全身打撲で死んでしまい
妻のルイーと生まれたばかりの赤ちゃんを残して行った
そのハンスからのメッセージは
国への忠誠心よりも自分の命を大切にすべきだった。
全体の改善よりも、自分をまず大切にしてほしい
家族との時間を大切にして…と、ここは共通のメッセージでした。
その翌々日が、もう京都でのお坊さんたちとのセッションで
会場に到着すると、2人のお坊さんのうちひとりが来れなくなった
ということで、いらっしゃった方のお名刺を頂くと、有名なお寺のお坊さま。
無口でシャイな感じ?ちょっと気まずい雰囲気の中、
セッションが始まり30分位経った頃。
「質問はありますか?」と言われて
なにか楽しい話をしませんか?
お二人とも、本業とは別に、ボランティア的に
この「過去生回帰瞑想」や「エネルギーワーク瞑想」を
休日返上でセッションを提供して下さるのはどうしてですか?
と聞くと、無口だったお坊さんが口を開き
このワークがどれだけパワフルかということ、
これこそ自分の心の中での本業で、これに如何に懸けているか
ということを情熱的に語り始めたのでした。
そして、初めて私の目を見て
「実は、ギリシャのパルテノン神殿でのライバルは私だったんです。
その過去生だけでなく、私は愛子さんの今の痛みを作りだした原因となる
あといくつかの過去生で愛子さんを痛めつける側の人間として転生しました。
だから最初は目を見ることができなかった。
一緒だった過去生において愛子さんは常に善というか光の側の目立つ存在で、
私は悪というかダークサイドから愛子さんの推し進めることを妨害し
封じ込める役だったんです。
愛子さんの遠隔ヒーリングを匿名で彼から依頼されて
過去生回帰瞑想とエネルギーワーク瞑想をしている間中
鮮明なイメージが蘇って来て、見たくなくても見せられてしまいました。
ちなみに私と愛子さんは同い年だったりします。」 (シンクロし過ぎ!!!)
それを聞いて私は、
なんと!それで今生、ヒーラーという役割で
私と再会しているということは、カルマの解消的にすごいことですよね!
嬉しい♪ 私も全てを解放させて完治する時が来ているということ☆☆☆
と大興奮。
聞くと、お坊さんになる前にその方と出会っていて
過去生回帰瞑想を教わることになり、自分が過去に行ってきたことに
直面せざるを得なくなって、深い反省の念から出家したとのこと。
もうダークサイドは流行りではないので、光の側に行く
…と意外と軽いノリ?!
これまで過去生とか実のところ信じてこなかったのだけれど
ここまでシンクロして過去生でご一緒した人の証言?があったりすると
信じざるを得ないというか、真実味を帯びてくる~…
その方もお坊さんたちも何故この過去生回帰のワークが
パワフルだと考えているかというと、十数年前までは
こういった過去生のカルマやトラウマは解消する方法がなくて
ただ積み重ねて、同じパターンを繰り返して行くだけだったのが
魂の持っている情報とエネルギーに働きかけて
書き換えて行くことができるようになった。
つまり未来を創り変えることができるようになった
ということ。
先月リリースした翻訳本『あなたの運命は「意識」で変わる』
のテーマともシンクロしてるかも☆
意識に働きかけ、解放し、自由に人生を選択して行く
素敵な時代に生まれて来ましたね♡♡♡