• OFFICIAL WEBSITE

  • CONTACT
  • BLOG
  • MEDIA
  • SEMINAR
  • BOOKS
  • PROFILE
  • NEWS
シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)は、自分の魂やスピリットからの「ヒント」=導きの合図。

偶然の一致を辿っていくと真の自分に導かれて自己探求の旅が始まる???

原初音瞑想を実践しているとシンクロが日常茶飯事に☆☆☆
そして偶然・予想外・予定外のことに満ちた道のりも、振り返ってみる
と自分の願望に沿って起こっていたことが後から分かったり…!

この「

渡邊愛子のシンクロ・ジャーニー

」ではそんな日常を綴って参ります♪

ムルガ神の葉 第13章(過去生のカルマと解消法を教えてくれる)第14章(今生でのトラブルを回避するお守りの作成方法)を開いた48時間後にお会いする約束をしていたのは、宮崎萬純(ますみ)さんでした。

ますみさんとの出会いは、私がチョプラ博士の初来日セミナーを主催した2007年9月のこと。10名のご招待席に出版社さんが厳選の上ご招待した著名人のおひとりでした。セミナー終了後にチョプラ博士とのツーショット写真をお撮りして、後日ご来場の御礼のお手紙にプリントした写真を同梱して郵送しただけだったのですが

約2年後に(当時1歳半だった娘を連れて)長野に家族旅行をしていた際に宿泊先で夕食の席についたら隣のテーブルにますみさんがいらっしゃって(!!)「ますみさんですか?ご無沙汰しております!」と少しお話しをしていたところ横浜にサロンを構えてヒプノセラピーを提供されているとお聞きし、重度の関節リウマチで様々な自然療法を試している真っ最中だった私は「ますみさんのヒプノセラピー受けたいです♪」とホームページから早速お申込をして、クライアントとして横浜のサロンを訪問しました。

その後しばらく経って2012年にFacebookで繋がって以来2年おきぐらいに再会できるような機会やイベントがあって、そのたびにメッセージのやり取りをしていたけれどお互いのタイミングが合わずに再会は実現せずという期間を過ごした後、2021年に穴口恵子さん主催の「瞑想フェス」で共演することになり、年明け早々に始まったZoomミーティングでの交流から瞑想フェス当日の楽屋でのおしゃべり、そして打ち上げの食事会でも意気投合して、その後Facebookメッセージのやり取りでも「協業、楽しくやって行きましょう♪」となった流れで、当時ますみさんが仲介をしていたアガスティアの葉を開くことになったのでした。

実際にお会いするのは4年ぶりとなった今年の5月4日は、これまでになく「2人でじっくり対話する」機会となりました。

◎ますみさんが真我を探究し続け、真理を伝えているその道のりについて。

◎真理を伝える道のりで、本当に聞く耳を持っている人はまだまだ少ないこと。

◎ヨガの概念で言うとほとんどの人たちが無知と無明のマーヤ(幻想)の世界を生きていて、◎それぞれの主観で色々な物事を判断している世界について。

◎そんな世界の中で、神と共に生きて行きたい、神の御意志と真理に従ってダルマ(人生の目的)を生きて行こう!と覚悟を決めて、この道を歩んで来たこと。

◎同様にダルマを生きる意志が芽生えた人たちに、ムルガ神より授けられた長野の拠点で活動しながら真理を教え続けていること等

色々お話しして下さりました。

ますみさんは14歳でお父様を亡くされて、女優になったのは15歳の時だったそうです。

きっかけは級友たちが学校にオーディションの情報を持ってきて皆んなで受けてみようとなった時に幼少期いずれ女優になると分かっていたことを思い出したぐらい、自分から何かを得ようとしたり何かになろうとしたりということが無かったけれど、トントン拍子に話が進んでそれから10年間は休む暇もなくお仕事をしていたとのこと。

でもその世界では、もっと自己アピールするように、他の人たちがやっているように媚を売るよう周りからお尻を叩かれたり怒られるようなことも多く、昔から大人しくてニュートラルだったますみさんは16歳で「とことん純粋になるか、とことん強か(したたか)になるしかない」と思った時に「純粋である」ことを決めたそうです。

私も、ますみさんと出会ってから18年間、数年ごとの少しずつの交流の中でも「純粋さ」を感じ取っていました。それはどこまでも純粋で、純度が高く、澄み切った・・・まさに萬純というお名前に意味も音も含まれていると思っていました。

ますみさんも、今回の再会で改めて自己紹介された際にご自身のことを「常にまっすぐというか、嘘がないというか・・・」と仰るぐらいで。そんなますみさんは芸能界でも純粋さを極めていき、それも表裏一体で純粋さゆえの強かさ(物事を冷静に見ながら、純粋であるが故の強かな判断をする等)を発揮しながら10年経った頃には精神的にも枯渇している状態になり、その時に「止まれ」という声を聞いたのだそうです。

その声を聞いて止まった時に、ある種の「死」を感じたとのこと。当時の感覚では「本当の自分、人間としてあるべき姿、一人の人間としての感性や感受性」が死んでしまう。ますみさんの中の純粋性がもうそれ以上耐えられない、女優を辞めようと思ったタイミングで、たまたまハワイで物件(タウンハウス)を購入する流れになり・・・。

事務所からも周りの人たちからも反対されるのを押し切ってハワイに移り住み、入居してまもなくチャネリングアートを描くお友達が白い壁一面に描いてくれた「ますみさんのハイヤーセルフ」は蓮のような羽のような絵で、描き終わった瞬間に「この絵がひとつだけ願い事を叶えると言っているので、この絵の前で祈ってくれる?」と言われ、これまでどれだけの物事を得ても自分の本質的なところを満たしてくれなかったというのが分かっていて精神的に枯渇していたので、頭では「願い事なんて何もない。これ以上何かを得る必要もないし、欲しいものは何もない。」と思っていたけれど、潜在意識の深いところから「家庭を作りたい」という言葉が突然出てきたそうです。

「出てきたものはしょうがないから」という感覚で「家庭を作る」というイメージをその絵にお願いした5日後に元旦那様と出会うというスピード展開。その方はNHKのドキュメンタリー番組のディレクター兼カメラマンとしてロサンゼルスからハワイに取材に来ていて、5〜6年前に一度仕事で関わっていたので「会おう会おう」となって一緒に食事をした帰りの車で物凄いスコールに遭い、流星というより隕石や惑星が?!落ちて来たのではないかと思うぐらいの爆発的な光を見て、直感で「あ、この人だ」と思い、彼も「偶然じゃないね、これ」となって1ヶ月後には結婚し、決まっていた半年間の仕事が終わり事務所との契約も切れるところで芸能界を引退して彼の住むロサンゼルスに移住。

全て神様のシナリオと思うぐらいロサンゼルスで子育てをしながら、二十歳の頃からスピリチュアルなことに興味を持って本を読み漁っていたけれど当時のスピリチュアルなことだけでは地に足がついていない感じがしていたところ、パラマハンサ・ヨガナンダ(「あるヨギーの自叙伝」著者)のSelf-Realization Fellowshipという団体の Lake Shrine という人工的な湖なのだけれど訪問客が寝泊まりできるアシュラムのような建物や、誰でも入れる綺麗なお庭があってそこで瞑想ができるというので、団体には入らなかったけれどそこに通うようになったそうです。

ということで、ますみさんのインドとのご縁は26歳の頃から始まっていて、近年になって突然ムルガ神の葉というものではなく、ロサンゼルスで7年、ハワイに4年住んでいた期間はずっとインドヨーガ、インド哲学の中に浸りながら子育てをしていた中で、さらに多くの本を読み、良い師匠にも恵まれて指導を受けたりしながら精神性の探究をして来られた経緯を詳しく伺うことができました。

私の13章の結果である「カルマ解消法」により、7泊8日でインドの各寺院を巡礼することが必要になった件も相談し、ますみさんからも「ご自身で実際に行かれて直接お参りすることをお勧めする」とのことでしたので、その後の展開は次のブログ記事で書きますね。

そして私のカルマ解消法に含まれていたように、南インドにある各寺院の巡礼が終わって日本に帰って来たら木曜日✖️9回ほど、グル(導師)としてのますみさんを訪問することになったので、お会いするたびに対話をする中でとても大切なことは今後のブログ記事の中で共有していくことになると思います⭐️

https://www.facebook.com/masumi.miyazaki.12

  • Share
  • Facebook
  • Twitter
シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)は、自分の魂やスピリットからの「ヒント」=導きの合図。

偶然の一致を辿っていくと真の自分に導かれて自己探求の旅が始まる???

原初音瞑想を実践しているとシンクロが日常茶飯事に☆ ☆ ☆そして偶然・予想外・予定外のことに満ちた道のりも、振り返ってみると自分の願望に沿って起こっていたことが後から分かったり…!

…そんな日常を綴って参ります♪

ムルガ神の葉 第13章(過去生のカルマと解消法を教えてくれる)第14章(今生でのトラブルを回避するお守りの作成方法)を開いた48時間後にお会いする約束をしていたのは、宮崎萬純(ますみ)さんでした。

ますみさんとの出会いは、私がチョプラ博士の初来日セミナーを主催した2007年9月のこと。10名のご招待席に出版社さんが厳選の上ご招待した著名人のおひとりでした。セミナー終了後にチョプラ博士とのツーショット写真をお撮りして、後日ご来場の御礼のお手紙にプリントした写真を同梱して郵送しただけだったのですが

約2年後に(当時1歳半だった娘を連れて)長野に家族旅行をしていた際に宿泊先で夕食の席についたら隣のテーブルにますみさんがいらっしゃって(!!)「ますみさんですか?ご無沙汰しております!」と少しお話しをしていたところ横浜にサロンを構えてヒプノセラピーを提供されているとお聞きし、重度の関節リウマチで様々な自然療法を試している真っ最中だった私は「ますみさんのヒプノセラピー受けたいです♪」とホームページから早速お申込をして、クライアントとして横浜のサロンを訪問しました。

その後しばらく経って2012年にFacebookで繋がって以来2年おきぐらいに再会できるような機会やイベントがあって、そのたびにメッセージのやり取りをしていたけれどお互いのタイミングが合わずに再会は実現せずという期間を過ごした後、2021年に穴口恵子さん主催の「瞑想フェス」で共演することになり、年明け早々に始まったZoomミーティングでの交流から瞑想フェス当日の楽屋でのおしゃべり、そして打ち上げの食事会でも意気投合して、その後Facebookメッセージのやり取りでも「協業、楽しくやって行きましょう♪」となった流れで、当時ますみさんが仲介をしていたアガスティアの葉を開くことになったのでした。

実際にお会いするのは4年ぶりとなった今年の5月4日は、これまでになく「2人でじっくり対話する」機会となりました。

◎ますみさんが真我を探究し続け、真理を伝えているその道のりについて。

◎真理を伝える道のりで、本当に聞く耳を持っている人はまだまだ少ないこと。

◎ヨガの概念で言うとほとんどの人たちが無知と無明のマーヤ(幻想)の世界を生きていて、◎それぞれの主観で色々な物事を判断している世界について。

◎そんな世界の中で、神と共に生きて行きたい、神の御意志と真理に従ってダルマ(人生の目的)を生きて行こう!と覚悟を決めて、この道を歩んで来たこと。

◎同様にダルマを生きる意志が芽生えた人たちに、ムルガ神より授けられた長野の拠点で活動しながら真理を教え続けていること等

色々お話しして下さりました。

ますみさんは14歳でお父様を亡くされて、女優になったのは15歳の時だったそうです。

きっかけは級友たちが学校にオーディションの情報を持ってきて皆んなで受けてみようとなった時に幼少期いずれ女優になると分かっていたことを思い出したぐらい、自分から何かを得ようとしたり何かになろうとしたりということが無かったけれど、トントン拍子に話が進んでそれから10年間は休む暇もなくお仕事をしていたとのこと。

でもその世界では、もっと自己アピールするように、他の人たちがやっているように媚を売るよう周りからお尻を叩かれたり怒られるようなことも多く、昔から大人しくてニュートラルだったますみさんは16歳で「とことん純粋になるか、とことん強か(したたか)になるしかない」と思った時に「純粋である」ことを決めたそうです。

私も、ますみさんと出会ってから18年間、数年ごとの少しずつの交流の中でも「純粋さ」を感じ取っていました。それはどこまでも純粋で、純度が高く、澄み切った・・・まさに萬純というお名前に意味も音も含まれていると思っていました。

ますみさんも、今回の再会で改めて自己紹介された際にご自身のことを「常にまっすぐというか、嘘がないというか・・・」と仰るぐらいで。そんなますみさんは芸能界でも純粋さを極めていき、それも表裏一体で純粋さゆえの強かさ(物事を冷静に見ながら、純粋であるが故の強かな判断をする等)を発揮しながら10年経った頃には精神的にも枯渇している状態になり、その時に「止まれ」という声を聞いたのだそうです。

その声を聞いて止まった時に、ある種の「死」を感じたとのこと。当時の感覚では「本当の自分、人間としてあるべき姿、一人の人間としての感性や感受性」が死んでしまう。ますみさんの中の純粋性がもうそれ以上耐えられない、女優を辞めようと思ったタイミングで、たまたまハワイで物件(タウンハウス)を購入する流れになり・・・。

事務所からも周りの人たちからも反対されるのを押し切ってハワイに移り住み、入居してまもなくチャネリングアートを描くお友達が白い壁一面に描いてくれた「ますみさんのハイヤーセルフ」は蓮のような羽のような絵で、描き終わった瞬間に「この絵がひとつだけ願い事を叶えると言っているので、この絵の前で祈ってくれる?」と言われ、これまでどれだけの物事を得ても自分の本質的なところを満たしてくれなかったというのが分かっていて精神的に枯渇していたので、頭では「願い事なんて何もない。これ以上何かを得る必要もないし、欲しいものは何もない。」と思っていたけれど、潜在意識の深いところから「家庭を作りたい」という言葉が突然出てきたそうです。

「出てきたものはしょうがないから」という感覚で「家庭を作る」というイメージをその絵にお願いした5日後に元旦那様と出会うというスピード展開。その方はNHKのドキュメンタリー番組のディレクター兼カメラマンとしてロサンゼルスからハワイに取材に来ていて、5〜6年前に一度仕事で関わっていたので「会おう会おう」となって一緒に食事をした帰りの車で物凄いスコールに遭い、流星というより隕石や惑星が?!落ちて来たのではないかと思うぐらいの爆発的な光を見て、直感で「あ、この人だ」と思い、彼も「偶然じゃないね、これ」となって1ヶ月後には結婚し、決まっていた半年間の仕事が終わり事務所との契約も切れるところで芸能界を引退して彼の住むロサンゼルスに移住。

全て神様のシナリオと思うぐらいロサンゼルスで子育てをしながら、二十歳の頃からスピリチュアルなことに興味を持って本を読み漁っていたけれど当時のスピリチュアルなことだけでは地に足がついていない感じがしていたところ、パラマハンサ・ヨガナンダ(「あるヨギーの自叙伝」著者)のSelf-Realization Fellowshipという団体の Lake Shrine という人工的な湖なのだけれど訪問客が寝泊まりできるアシュラムのような建物や、誰でも入れる綺麗なお庭があってそこで瞑想ができるというので、団体には入らなかったけれどそこに通うようになったそうです。

ということで、ますみさんのインドとのご縁は26歳の頃から始まっていて、近年になって突然ムルガ神の葉というものではなく、ロサンゼルスで7年、ハワイに4年住んでいた期間はずっとインドヨーガ、インド哲学の中に浸りながら子育てをしていた中で、さらに多くの本を読み、良い師匠にも恵まれて指導を受けたりしながら精神性の探究をして来られた経緯を詳しく伺うことができました。

私の13章の結果である「カルマ解消法」により、7泊8日でインドの各寺院を巡礼することが必要になった件も相談し、ますみさんからも「ご自身で実際に行かれて直接お参りすることをお勧めする」とのことでしたので、その後の展開は次のブログ記事で書きますね。

そして私のカルマ解消法に含まれていたように、南インドにある各寺院の巡礼が終わって日本に帰って来たら木曜日✖️9回ほど、グル(導師)としてのますみさんを訪問することになったので、お会いするたびに対話をする中でとても大切なことは今後のブログ記事の中で共有していくことになると思います⭐️

https://www.facebook.com/masumi.miyazaki.12

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE