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前回のブログ投稿後に起こり始めた
チョプラ博士の名著に関するシンクロが
怒涛のように展開して行って
今まさにその流れで生じた新しい講座の
開講2週間前で、講義のプレゼン資料は作り終わり
受講者にお渡しするテキスト
(25種類のワークを7週で実践していくワークブック)の
作成真っ最中なのですが
ここらへんで展開というか、ここまでの顛末を
いったん報告しておきますね。
そんな今、ちょうど2006年2月創業の
株式会社ボディ・マインド・スピリットが
20年目に入り、起業した頃を振り返ったら
会社が登記されて、私が真っ先に取り組んだのは、
チョプラ博士が1996年に発刊した名著の
復刊に向けた働きかけでした。
チョプラ博士との出会いのストーリーを
ご存知の方もいらっしゃると思いますが
(拙著2冊目「運の良さは瞑想でつくる」の
第5章「シンクロケーススタディ」の中で詳述。
上記サイトの新刊発売インタビューでも語ってました)
チョプラ博士のサイン会に
思いがけず並ぶことになり、
その時たまたまバッグに入っていた
日本で購入した中古本が
「人生に奇跡をもたらう7つの法則」。
サインを頂いてから半年後に起業して
チョプラ博士の日本窓口として
活動を始めたのですが
今から19年前、起業したてで
実績も何もない状態で、
チョプラ博士の著作のほとんどが廃刊になっていて
書店で購入できる本が1~2冊ぐらいしか無かった頃。
まずは、この7つの法則を復刊させたくて
日本の出版社、3社ほどアプローチして
再版を提案したのですが悉く断られ…。
どうしたものか・・・と考えあぐねて
当時「復刊ドットコム」という存在を知り
起業から5日後に登録した、そのサイトが
まだあったのを今、発見しました!
上記のサイト登録後、1年半かけて
その前に当時のチョプラ博士の新刊
「宇宙のパワー・・・」を翻訳することになって
その本が出版された半年後に
チョプラ博士が13年ぶりに来日することになり
7つの法則のほうにも
大和出版さんが興味をもって下さり、
2007年に翻訳し直して
ゴールドとレモン色の表紙で出版されたのでした。
復刊までの道のりを記録した
2007年当時の楽天ブログ記事も見つけました♪
あの頃もホント怒涛の展開で忙しかった~!
それで、海外からの翻訳本って、
日本の出版社と海外のエージェントの間の
翻訳出版契約が、だいたい7年契約なので
7年経つと廃刊になってしまうのです。
でも7年経った2014年に
KADOKAWAさんとの出会いがあって
きっかけは別の本だったのに
角川文庫で海外の名著を探していたところで
そのニーズにピッタリ合って
(シンクロして、ですね^^)
7つの法則が文庫本として
また少し翻訳をブラッシュアップして出版♪
でも翻訳をブラッシュアップした際に
「ここもうちょっと説明を加えたほうが
理解しやすくなるんじゃないかしら・・・」
と感じた箇所がたくさんあって
翻訳者としては書かれていること以外を
書き足すわけにはいかない立場だから
ちょっと悶々とした感覚が残っていたのでした。
それが、瞑想のイロハを
マンガのストーリーと共に教える企画で
「マンガで実践!~ 最強の瞑想法」が
2017年に出版されて
そのマンガ本の評判が良かったので
7つの法則をマンガのストーリーで伝えて
7つの章ごとに文章で解説を加えていく企画が立ち上がり
「マンガで実践! ~ 富と成功をもたらす7つの法則」が
2018年に発売されたのでした。
そんなふうに、数々のシンクロニシティと共に
再出版を重ねてきたチョプラ博士の
「富と成功をもたらす7つの法則」ですが
昨年2024年秋に出版契約が切れていることが判明して
起業以来、ずっと手掛けてきた本件の
再々出版に向けて動き出したところ
検討して下さった出版社さんが
「この本を元にした『講座』があれば」
再々出版の企画が可能になる
ということで、
新講座の開発が始まったのでした。
このタイミングでシンクロしたことは
2022年に一度、この7つの法則の
講座を開発したいと強く思ったけれど
当時は1day講座を3種類も開講していて
講座を開発しても日程を組めないので
諦めていたことと
2024年に1年かけて、その3種類の1day講座が
全て映像教材になったこと。
(介護サポートをしている都合で)
あと、1つ前のブログ記事でお話しした
私が代表理事を務める
ウェルビーイング・ライフスタイル協会で
9つの領域のトータルウェルビーイングを促進する中で
「経済的なウェルビーイングをもたらす
具体的な解決策は何だろう?」と
2024年をとおして模索していたこと。
そして、この7つの法則の原著・原題を直訳すると
「7つのスピリチュアルな成功法則」
「スピリチュアルな7つの成功法則」
であって、
日本だけ
「富と成功をもたらす7つの法則」
となっているけれど
せっかく新たに講座を開発するなら
経済的な豊かさと直結させて
実用化したらどうかしら?
と閃いたのです。
そうしたら、
どんどんインスピレーションが降りてきて
これまでも短期間で
新著の企画が降ってきたり、
YouTubeエンタメちゃんねるの
企画が降ってきたりしたように
このような講座が出来上がったのです。
7時間の講義、なのだけれど
講義用のプレゼンテーションスライドは
なんと250枚に!!!
そして、この7つの法則を
経済的な豊かさと直結させて
実用化するためのワークは
25種類になり!
このような構成になりましたが、
なぜ「経済的な豊かさ」に焦点を当てるのか
インスピレーションにより
出来上がった後に感じることは
チョプラ博士の
「7つのスピリチュアルな成功法則」によって
本質的な人生の成功を実現する道のりで
何もなくても幸せ、お金が無くても
豊かな感覚を味わうけれど
この三次元の経済社会では
まだお金は必要。
無条件の幸せや、
充足感を味わいながら経済的にも豊かであれば
経済的自由は、さらに
精神的・物理的な自由を生むことができるし
経済的に豊かであることで、
自己実現の可能性が広がり、
富を創造し、分かち合うことで
さらなる社会貢献が可能になる。
なにょり、経済的豊かさと直結することによって
現実生活やビジネスに適用するので
7つの法則を毎日実践するようになり、
本質的な人生の成功への近道となる
そのような意義をもっていると感じています。
この新講座は、定員15名で:
第1期 2/23(日)9:30〜17:30(超満員)
第2期 3/2(日)9:30〜17:30
で詳細は下記のメルマガバックナンバーをご参照ください。
https://mm.jcity.com/MM_PublicBackNo.cfm?UserID=bms&MagazineID=37&T=1398&tv=

私が2006年に思いがけず瞑想ティーチャーになったのも
シンクロニシティの連続によるものでしたし、
2015年に本を出すことになったのも、その後に出した本も、
それら全てがAudibleのオーディオブックになったのも、
2017年に原初音瞑想講座が映像化されたのも
2020年のお正月からMETAHUMANレッスンと
上級瞑想を教えることになったのも
最近まで新たに何か始めたり、展開してきたことは
す・べ・て、
シンクロニシティを実行に移してきた結果でした。
「シンクロニシティを実行に移す」の実態は
何にしても全て相手があることであって、
ひとりでは何も為せませんから
どちらかのインスピレーションに「いいね!」となって
タイミングや場所が一致したり、
スルスルと自然に展開して行って
いずれもあり得ないほどの短期間に
「為される」という感じで。
今回の「医師たちとの多重シンクロ」は、
ちょうど私がYouTubeの瞑想エンタメちゃんねるで
「瞑想バーの愛子ママ」という新キャラで
コントデビューしていた頃^^
昼間の「上級瞑想講座」を受講しに来て下さった
小児科医の根津ようこさんが持つ熱い思いを
もっとお聞きしたい・語り合いたい気がして
講座終了後にFacebookで繋がってからお別れしたところ
共通の友人に、高校の先輩がいることに気づいたので
メッセージで質問すると、なんと
同じ高校に通っていた同窓生だと分かり!
時同じくして上級瞑想講座まで受講済みの
ドクターの方たちと個別のやり取りが多くなってきて
Dr.チョプラがきっかけでこの瞑想に出会った
日本のドクターたちを繋げて差し上げたいと思い、
Zoomで新年会をしましょうかとお話ししていた頃に
小児科医の根津ようこさんが今度は
瞑想ファシリテーター認定講座を受講しに来られて
その際に、病院や診察室を離れて自由に表現でき
「ウェルビーイング」を広げて行く場として
NPOを立ち上げたいのだけれど
なかなか実現しなくて・・・というお悩みに
私もその2年前に一度、瞑想ファシリテーターたちの
活動の場としてのNPOを立ち上げようという話があり、
でもそのNPOが、提案してきた理事たちの報酬を支払うために
私が一生懸命に働く構造になっていることに気づいて
取りやめたことがあったので
そういうのではなく、理事も、
もちろん代表理事も無報酬で
純粋に「ウェルビーイング」を広げる活動のため
(システム利用料やコンテンツ制作費など)
の資金を会費や寄付で賄い、
最終的な利益を残さない非営利団体として
一緒に立ち上げましょう、という話になり
ちょうど上級瞑想講座を受講した日本人ドクターの
Zoom新年会でお繋ぎしたメンバーのうち、
小児科医の根津ようこさん
整形外科医の佐藤進一さん
歯科医の山本エレナさん
の3名が、理事になって下さることに決まり
NPOは立ち上げるのがとても困難なので
一般社団法人にしよう、
名称は
「ウェルビーイング・ライフスタイル協会」
にしよう
となっていた頃、
表参道サロンでの「瞑想会」に、
整形外科医の佐藤進一さんと
もうお一人の参加者だった
江幡智之さんとのお話しの中でピンと来て、
「江幡さん、事務局長になってもらえませんか?」と
スカウトさせて頂いたところ、
設立手続きを担当して下さって
物凄い短期間で協会が立ち上がったのでした。
設立メンバー全員が、無報酬というだけでなく
「維持会員」として会費も納めていて、かつ
途中、2年半ほど情報発信活動をお休みしていた期間の
ウェブ、決済システム、メルマガ配信システムなどの
利用料をまかなうために各自が数十万ずつ出して
協会を存続させて来ました。
ウェルビーイングな世界を共同創造していく
という漠然としがちな目的でもあり、
しかも「オーガニック組織」として
「誰もが中心」という各自の「自発性」を尊重しながら、
共時性(シンクロニシティ)をベースにした
有機的な組織運営をしているので
チャレンジングではありますが
チャレンジしたいのです。
個人のウェルビーイングを体現した人たちが
周囲にそのウェルビーイングを広げて行く
ひとりでは難しいけれど、協業することによって
有機的な反応が起こり、波紋のように広がって行くよう
新しい時代の在り方で、ウェルビーイングな世界を作って行きたい。
これを読んで下さったあなたとも
共同創造していけることを楽しみにしています♪

今回、2年ぶりにこちらのブログ
「渡邊愛子のシンクロ ジャーニー」で、
すっかり 当たり前になっている
瞑想によるシンクロニシティも
大掛かりなものはちゃんと記録しておこうと思いつつ…
次から次へと展開していくので記録が全然追いつけず…!
大掛かりな シンクロとは
偶然に偶然が重なっていくもので、私はよく
「シンクロ ぐるぐる巻き!」
と言っていたりするのですが
多重構造の、ものによっては
年数がかかっていたりして
かなり手の込んだ
お手配がされているものを指します。
今回は 現在
「上級瞑想マスター講座」の中で伝授している
「上級瞑想プロセス」ができあがるまでの
奇跡的なシンクロを紹介しますね☆
この「上級瞑想プロセス」は、
ディーバック・チョプラ博士直伝かつ
偶然、協業することによって生まれた
日本にしか存在していない
スペシャル瞑想プロセスなんです。
私がチョプラ博士から伝授されたのは
今から18年前
2005年の夏でした。
サンディエゴで「原初音瞑想講座」を受講した1ヶ月後に
チョプラ博士から直接、上級の瞑想を教えてもらえる
7日間の瞑想集中講座に参加した際に
そのプロセスを7日間に分けて教わったのでした
私がよく取材を受けて
瞑想との出会いを質問された時や
著書では「運のよさは瞑想でつくる」
の中で紹介したエピソードで
チョプラセンターで
アーユルヴェーダの施術を受けながら
セラピストさんと 世間話をしていて
「人生、変わるわよ~」 と言われて・・・
瞑想に全く興味がないのに、ふと受講することを決めた
「あの」講座です。
(受講料は当時 3500ドル位だったので
今日の為替レートだと46万8545円!!!)
その特別な瞑想プロセスは、
チョプラ博士による口伝なのですが
30分間の原初音瞑想をする
前のプロセスと、後のプロセス
・・・瞑想後のプロセスは
「スートラ」という
古代から伝わる意味のある言葉で
原初音マントラを使った瞑想で、
意識を深いところに
連れて行ってもらった後に
さらに意識を深めるというもの。
(「連れて行ってもらった」
という表現の所以は
マントラは心を超える
「乗り物」と言われているのです)
その特別なスートラを7日間に分けて
少しずつ教えてもらうのです。
それが チョプラ博士は
3回ずつぐらいしか言ってくれないので
500人前後の受講者たちが
みんな必死でメモをとります。
セミナー中は
チョプラ博士の誘導で
上級瞑想をするので
30分間の原初音瞑想をする
前のプロセスも
チョブラ博士が問いかける内容を
聞きながら瞑想に入っていけますし
瞑想後のプロセスも
その特別なスートラを
間隔を空けて言ってくれますので
深~い深い瞑想を経験できるのですが
さて自宅に戻って
自分でやってみようとすると
「あれ?何だっけ・・・?」 と、
スートラを思い出せなかったり
30分間の原初音瞑想で
意識が深くなっているところで
何かを思い出そうとすると
浅いところまで戻ってきてしまったり
次のスートラを唱えたと思ったら、
意識が飛んで?気がついたら
ものすごく時間が経っていたりとかで
ほとんど実践できないでいたのです。
それでも、その
「7日間の瞑想集中講座」では
毎日チョプラ博士による
2時間の講義があって
そこでは、あの
「富と成功をもたらす7つの法則」の
成功法則を1つずつ
解説してくださることもあって
法則の理解を深めることができたのです。
(あまりにも良かったので
10年間で3回も受講したぐらい!)
その素晴らしい講座を
日本の皆さんにも経験してもらいたく
日本人ツアーを組もうと試みたことが
3回ほど。
でも チョプラセンターでは
同時通訳のシステムが
1言語にしか対応していなくて
日本人を50人集めることができた時でも
メキシコや 南アメリカから
スペイン語圏の受講者が
100人を超えていたり
中国語圏の受講者数を
上回ることができなかったりで
日本人の同時通訳者を
3人揃える必要があるのですが
それができなかったりで
やむなく断念した10年間でした。
その後チョプラ博士から:
「7日間の瞑想集中講座」を
来日セミナーの形にすれば
アメリカ人講師の講義を省いて
3日間に短縮できるよ
と提案してくださったのですが
前後 トータル 5日間
チョプラ博士に来日して頂くのが
スケジュール的にも
ほぼ不可能だったのです。
(そしてなんと チョプラセンターでも
チョプラ博士が直接講義をするのは今年2023年で終わりという
アナウンスが昨年出されました)
さて、シンクロの連続で
奇跡的に日本だけの上級瞑想が生まれたのは
2019年12月のこと。
私の 5冊目の著書「願望実現 3.0」
(「悟りって何?」「覚醒ってどういうこと?」
という素朴な疑問から始まった本で、
チョプラ博士のメタヒューマン・レッスン
【31日間の覚醒レッスン】も紹介している)
を書き終わった時、
「METAHUMANレッスンを
日本の皆さんも実践できるようにしたい!」
と強く思って
チョプラ博士にメールを書いたのでした。
「METAHUMANレッスンを
日本で講座として提供しても良いですか?」
とお伺いを立てたところ
数時間で「OK!」という返信メールで
ご快諾いただいて
その瞬間
「あの上級瞑想プロセスも、
日本の皆さんに伝授することができたら…!」
という情熱が沸き起こり
チョプラセンターの高額セミナーで
チョプラ博士が教えている
秘伝的な瞑想プロセスを
日本で私が教えるなんて無理よね・・・
と思いつつも
ダメ元で
「10年間で3回も
日本人ツアーを組もうと試みて
その後5年間は日本での開催を
試みましたが実現できませんでした。
もう2020年になるのに、
これ以上日本人の皆さんを
お待たせできません。
あの上級瞑想プロセスを
METAHUMANレッスンと共に
伝授する許可を頂けませんか?」
と書いたメールを送ったのです。
チョプラ博士は、OK の時は
数時間で返信が来るのですが
NGの時はお返事が来ません。
十数年ずっとそうだったので
「この件はいかがでしょうか?」
とリマインドするまでもなく
プラン B を思いつきました。
それは、上級瞑想プロセスの
一番最初と最後の部分が
日本では奇跡的に
(これもシンクロの連続で実現したのですが)
すでに提供許可を頂いていて
それプラス、チョプラ博士のセミナーに
参加した際に時々 誘導してくださっていた
チャクラを調整するワークがあって
毎回とても意識が深まり、
その後に原初音瞑想できたらいいのに・・・
と思っていたことと
令和時代に入って
グラウンディングがさらに必要だ
と感じていたので
チョコラ博士が教えてくれた
光のワークと合わせて
最強のグラウンディングワークが
作れたらいいのに・・・
という思いを合わせて
「こちらの件はさすがに
無理ですよね・・・
だったら・・・」
と、チョプラ博士から教わった
上記の2つのワークを組み込んだ
瞑想プロセスを提案してみたところ
数時間後に「OK。この前の件もいいよ」
という返信が来たのです!
もう、珍しく大興奮して
「お返事ありがとうございます!
それでは もともとの
4つのプロセスに
博士から教わった
2つのワークを合わせて
これを上級瞑想プロセスとして
日本で伝授しますね!!
ご承認ありがとうございました!!!」
というメールを返信して
日本だけの上級瞑想プロセスを
伝授できるようになったのです。
2020年1月から
「上級瞑想講座」の中で
2022年8月から
「上級瞑想マスター講座」の中で伝授し、
受講者の方々には、この
上級瞑想プロセスを
音声ファイルで提供しています。
これも日本だけの提供で、
チョプラ博士から直接教わった
海外の方々は
音声ファイル無しで
自分の頭の中で、思い出しながら
頑張って上級瞑想をしているか、
断念してしまったか・・・
なので世界中でチョプラ博士が
デザインした上級瞑想を
しっかり実践できているのは
日本人だけなんじゃないかと
思っているんです。
しかも 日本で提供している上級瞑想は
2つも特別なプロセスが追加されていて、
もしかしたら最強?
そんな、メルマガには
長すぎて書けない話を
ブログに書いてみました^^

さて「神様系シンクロが~」と騒いでいる(?)私も、
それまで神さまも仏さまも縁遠く
神社巡りが趣味ということも無かったですし
(BODY MIND SPIRITを起業したきっかけが、2004年秋に生まれて初めて伊勢参りをした帰りの新幹線で「起業する」という言葉が唐突に湧いた!ということはありましたが)
起業してからでも、初詣に行かない年がちょいちょいあったぐらい。
お寺ともご縁がなく(先日お墓の石材店を経由してお世話になっているお寺が分かりましたが)
祖父母の〇回忌という法事もなぜか無いままで
両親とも「うちは無宗教」と言い続けていたし、私もそれが当たり前になっていて
瞑想にも全く興味が無かったので
禅寺に「坐禅を体験しに行く」ということもなかったですし
(坐禅は2017年秋に初めて体験☆)
今、振り返ると「マコモ」に出会い、
2018年に出雲大社でご神事イベントをプロデュースしたのが神社巡りの起点でした。
それで、神社でご祈祷を受けると「おふだ」を頂いて
だんだん増えて来てしまったので「神棚を設置しよう」と思ったのは良いけれど
知らないことばかりで、詳しい人々に聞きながら
よちよち歩き?あるいは初心者マーク付きで神様たちをお祀りしていったのでした。
基本的には大きな神社で、おふだを頂くと
「お神札のまつり方」という紙か小冊子を頂いたので
それぐらいしか情報がなく、
サロン用には「三社造り」の神棚にしたので
「中央に神宮大麻、右に氏神神社のお神札、左に崇敬する神社のお神札」
とのこと。
(「神社本庁」というサイトを見つけました!)
「お神札のまつり方」
https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/katei/ofuda
でも私の手元には:
・会社の初詣で明治神宮に世界平和を祈願した時のお神札
・出雲大社のご神事イベントで団体として世界平和を祈願した時のお神札
・今年1月に伊勢神宮でやはり世界平和を祈願した時のお神札3種
・3月初旬のシンクロで崇敬神社に確定した大神神社のお神札
・3月中旬に伊勢神宮で正式参拝したので外宮の豊受大神宮のお神札
・3月末に熱田神宮で世界平和を祈願した時のお神札
があって
しかも、神棚に入らないサイズのお神札も結構たくさん!!!
(ご祈祷を受けた際に頂くお神札は大きなサイズのことが多かったです)
なので、詳しい方に相談しながら
神棚に入るサイズの御札は
中央:①「天照皇大神宮」②「天照皇大神宮御饌供祈祷大麻」
向かって右側 ①「豊受大神宮」②「明治神宮」
向かって左側 ①「熱田神宮祈祷神符」②「大神神社」
と、2枚ずつ重ねて。
神棚に入らない御札は、神棚の両脇に
向かって右側 ①「天照皇大神宮」 ②「大神神社」
向かって左側 ①「出雲大社御祈祷守護」「出雲大社御玉串」②「明治神宮御祈祷守護」
と重ねてお祀りすることになりました。
※神棚の扉は「神棚奉斎」が終わったら閉じて、次に御札をお祀りする時(例えば1年経って古札をお返しして新しい御札を頂いて来た時など)に開けます。
(神棚の御扉はご神体を人目に触れないように、俗気から守るためにあるので基本的に閉めておくものだそうです)
神饌は:
「米」一升ほど
「酒」一升ほど(日本酒)
「魚」タイ尾頭付き
「海藻」昆布・海苔・ひじき・わかめ・寒天など三種類か五種類
「野菜」大根・人参・ホウレンソウなど、季節物を三種類か五種類
「果物」りんご・いちご・柑橘類など、季節物を三種類か五種類
「塩」一合ほど
「水」一合ほど
を用意して
神棚を祀る「神棚奉斎」は、思い切り初心者マークの私が自分で行ったのですが(汗)
式次第は
二礼二拍手一拝
↓
天津祝詞 3回(事前に何度も練習しました~)
↓
十言神咒 11回(「アマテラスオオミカミ」と11回奏上します)
↓
神棚奉斎詞
↓
祈願文 和歌(私の祈願を和歌にして頂きました☆)
↓
二礼二拍手一拝
ここまでシェアしたので「神棚奉斎詞」と「祈願文 和歌」も公開しちゃいますね。
(「天津祝詞」「十言神咒」は一般のものです。奏上の仕方は私オリジナルになったかも知れませんが^^)
ちなみに「神棚奉斎」は2019年4月3日大安の11時に行いました。
「神棚奉斎詞」
『これの神床に 斎い奉り 鎮め奉る 掛巻も綾に畏き 天照坐皇大御神・天津神国津神・八百萬の神々の宇豆の御前に 斎主渡邊愛子 畏み畏みも白さく
この株式会社ボディ・マインド・スピリットは、この地東京都渋谷区神宮前3-6-8 エルズ神宮前A三階において、平成18年2月設立より、「ひとりひとりが生まれてきた目的を果たしながら、全体と繋がり、喜びに満ちた平和な世界」を実現するという心願をもって活動させていただいております。
その中で、日々折々において、知らず知らずのうちに、大神たちのご守護とお導きをいただき、よきご縁が大いに広がり、大いに発展させていただいて来ましたことを、心から感謝申し上げます。
それと共に、ここに初めて神床を、清くうるわしく設けさせていただき、今日の良き日に、大神様達のご神魂宿れる、大神璽お祀りさせていただきますことを、何とぞお許しいただけますようよろしくお願い申し上げます。
今日を新たな始まりとして、ご縁あってボディ・マインド・スピリットの活動に集いますスタッフ、そしてクライアントの皆様、また、瞑想講座や瞑想会などにお越しになるすべての皆様、および書籍を読まれたすべての方々に、大神さま達の、高く尊きご神徳をより大いにより豊かにお授けいただき、ひとりひとりの御魂様の天命を最高度に全う成就させていただけますよう、お守りお導きください。
また、私、渡邊愛子も、ボディ・マインド・スピリットの活動を通じて、世界中の皆様を幸せにしたいという大神様達の願いを実現するための、手となり足となってつとめさせていただきますことをお許しくださいますよう重ねてお願い申し上げます。
今年、5月1日より始まる、新しき令和の御代が平和で安らかで幸せに満ちた世界の大いなる礎となりますよう、新天皇となられる浩宮様、新皇后となられる雅子様をはじめ、日本の国の国民の皆様、一億二千七百万、そして、世界人類七十四億の皆様、ひとりももれることなくお守りいただき、お救いいただき、お導きいただきますことを、つつしみ、かしこみ、こい願い奉りますと共に、大神様達のますますの弥栄を心よりお祈り申し上げます。
「祈願文 和歌」
日の光 暗闇照らし 導ける 標(しるべ)となりて 守り給えや
鉄槌を 下すことなく 安らけく 道正し給え 教え授けて
古き道 今に合わせて 導かん 我よし心の 雲霧はらい
神心 澄みて映せる つとめなし 神・人喜ぶ 世をぞ作らん
神栄え 人栄えゆき 睦みゆく 世とならせ給え 令和の御代は
上記の「神棚奉斎詞」以外
つまり二礼二拍手一拝、「天津祝詞」「十言神咒」「祈願文 和歌」二礼二拍手一拝は
サロンに来るたびに、
そして自宅に神棚をお祀りした5月3日からは
毎朝、行っているのですが
3月1日に奄美大島のユタさんから
「あなたが和歌を詠んでいる声がずっと聞こえている」
と言われたのは、このことだったの~?!
http://aikowatanabe.com/2019/05/11/908/
ちなみに日々のお供えは「お米」「お塩」「お水」を新しく取り換えて
サカキのお水を変えています。
サカキ自体は1日と15日に新しいものに変えて
お酒も、その1日と15日だけお供えしています。
「瞑想」に加えて「お祈り」も日課になったので
瞑想前の「意図と願望リスト」と「お祈り」の最適なミックスや
それぞれのベストタイミングが分かったら
それを「お祈り瞑想」として皆さんに伝えて
「お祈り瞑想会」も定期開催しようと思っていました。
最初3か月間、朝起きたらお供え3点と榊のお水を新しくして
二礼二拍手一拝、「天津祝詞」「十言神咒」「祈願文 和歌」二礼二拍手一拝
を行っていて、その間
いろいろ工夫して「祈願文 和歌」の後に、お願い事を奏上してみたり
瞑想前の「意図と願望リスト」をお祈り風に変えてみたりしていたのですが
お供え準備からお祈りまで30分以上かかって
瞑想は、だいたい40分位していることが多いので合計1時間強。
でも3ヶ月経って「お供え準備からお祈りまで」
30分以上かかっていた一番の要因は
「お供え準備」をしている時に思考がグルグル回って気が散っていたり
ボーっとしていたりして、そこに20分以上かかっていたのでは?と気づき
(もっと早く気づけば良かった!)
試しに先に33分~39分の瞑想をしてから
「お供え準備~お祈り」をしてみたところ
10分ちょっとで出来るようになったのでした。
私の「祈願文 和歌」の
「古き道 今に合わせて 導かん 我よし心の 雲霧はらい」
にあるように
瞑想で、まず心の雲霧(雑念)をはらって
澄んだ心でお祈りするのがベスト♪
というところに落ち着いたので、詳しい方に確認したところ
瞑想で、過去や未来に浮遊している意識を
今ここ(「中今」と仰っていて「今ここ」より深い意味があるようでしたが)
に戻してからお祈りすると集中できるし、
集中できた分、強く神様に祈りが通る
とのこと☆
そして、瞑想前の「意図と願望リスト」は
自著でも「~する」「~になっている」など<断定的に書く>のをお薦めしていますが
今回いろいろ試行錯誤した結果、やはり自分の願望は
断定的に「アファーメーション」として意図と願望を明確にしてから
マントラを使った瞑想をするのが最適だと落ち着きました。
それで「お祈り」のほうは、
私は二礼二拍手一拝、「天津祝詞」「十言神咒」「祈願文 和歌」
を奏上した後、
「大神様たち、常日頃より多大なご神徳を賜り誠にありがとうございます。
お陰様で…」と、
うまく行っていると感じていることや叶ったことの御礼を言ってから
「今ことわけてお願いしたいのは…」と、
家族やご縁ある人々、社会などで困った状況があり
その人たち、状況に良くなって欲しいと願う場合に
自分以外のことを祈ってから(周りに人がいない時は声に出して言っています)
二礼二拍手一拝で完了する。
というのが、とてもしっくり来ています♪
「意図と願望」を明確にしてから、瞑想で心の雲霧をはらいつつ
(それがマントラを使った瞑想だと、純粋意識に「意図と願望」を種まきしている状態になって、それ自体が実現に向けて育ち始めて「お手配」が起こって行くわけですが)
瞑想している人の、日々の「お祈り」は
神恩感謝をメインにして、個別なお願いは自分以外の人の幸せを願う
という感じでしょうか。
それで、そろそろ「お祈り瞑想会」も定期開催スタート?
と思っていたところ
今年のお盆に、初めて迎え火・送り火を焚いて
今回は父方の祖父母のお迎え・お見送りをしたのですが
実家にあるお仏壇をきれいにして、お盆用のお供え物をして、
(11歳の娘がお迎え用のキュウリの馬と、お見送り用のナスの牛を用意し^^)
お盆に先駆けて父方・母方の祖父母のお墓参りをすることにして、その際に
(成人してから一度もお墓参りをしていなかったお詫びもこめて?)
「追善供養」というのをアレンジして(お墓の前でお坊様が読経して下さいます)
それがきっかけで両親や親戚も集う機会となったり
お盆が明けた時、やっとご先祖様とちゃんと繋がれたような
やっとグラウンディングできた感覚があったのですが
(奄美大島のユタさんから「天と地がつながっていないのが問題」と言われた
「地」って、先祖としっかり繋がることだったのかしら?と思いつつ)
さらに、やっと「日本人」になった、というか
本来の日本人に戻ったような感じがしたのです。
そうしたら「お祈り瞑想会」というような、何か特別なものにする必要はなく
私たちそれぞれが自然におこなっていく営み、暮らしの中のひとつなのだなぁ
というところに落ち着きました。
今は、上記にシェアした
二礼二拍手一拝、「天津祝詞」「十言神咒」「祈願文 和歌」二礼二拍手一拝
という形でしているけれど、
もっと普遍的で基本的な、しっかりした形もあるのではないかと感じています。
そういうことも探求しながら、日本という国に生まれた意味を考えつつ
「自然な日本人」のあり方が顕現してくるような気がしていて
それに伴って「お祈り」の形式も微調整していくつもりです。
ところで、夏休みに娘と観に行った「天気の子」に
お盆で迎え火・送り火を焚いているシーンがあって、シンクロでした♪
今、現在のBODY MIND SPIRITサロンの神棚はこんな感じです☆
【表参道 BODY MIND SPIRITサロン】
http://www.bodymindspirit.co.jp/aiko_meditation.html

神様系シンクロ、前回「続きはそんなに間を空けずに書きますね」
と言ってから3ヶ月以上経って・・・(汗)
でもその間、Facebookの「グループ瞑想コミュ」とLINE@の「アイコ先生と瞑想」で
平日の夕方に私の瞑想タイムを投稿する際に<近況>も書いていたら、
そちらがリアルタイムのブログのようになっています~☆
瞑想実践者でなくても参加可能なのでお気軽にどうぞ♪
https://www.facebook.com/groups/meditate.with.japan/
LINEは友達検索で「 @aikomeisou 」と検索してみて下さい☆
さて前回の続き。
奄美のユタさんから表参道サロンでの神棚お祀りを辞退されたその日に
サロンでお会いした方が「神道に詳しい人」(東京在住の霊能者さん)をご存知とのことで
3日後の3月11日に紹介者の方も同席で3人でのランチミーティングが実現して
守護神や過去生の霊視セッションも提供されていると知り、
その日たまたま午後も空いていて、霊能者さんも夕方まで空いているとのこと。
表参道サロンで霊視のセッションをお願いすると、
まず私の守護神も霊統?もアマテラスということで、これまで霊視して来た方たちの中で守護神がアマテラスの人は100人に1人ぐらい珍しいことだと強調され
(奄美のユタさんにも「完璧にアマテラスの守護ですね」と言われていたことを思い出し、このセッションの後で「これは伊勢神宮の正式参拝を受けに行かなくちゃ」と思って3月末に実現したわけですが)
草場一壽さんによる陶彩画「天照大神-弥栄-」
https://manai.co.jp/SHOP/PP-02.html
過去生の霊視は、新しいものから順に遡って視てくれるものでした。
最初、「あれ…これは早過ぎる。おかしいなぁ… 普通は3百年位かかるものだけど…」
と躊躇して、詳しく視ないことになった過去生がひとつありました。
もしかして…17才の特攻隊員さん?
http://aikowatanabe.com/2018/08/16/762/
そして「…平安時代の終わりの頃に尼さんだったことがありますね…」
と、平安末期の女性が出てきました!!
その人物の最期について疑問が残っていたので
(その人物が亡くなったとされていた場所を訪れても、何も感じなかったので)
「その尼さんが亡くなる場面を視てもらえますか?」とお願いすると
・大勢の尼さんに囲まれて惜しまれて亡くなっていく
・そこでの生活は穏やかで幸せに満ちたものだった
・何か病気で亡くなっていくのだけれど、心は平穏
・すぐ側に男の子か女の子か分からないけれど12歳位の子供がいて別れを惜しんで泣いている。自分の子供にしては小さすぎる。(→この子は今の娘の過去生だと言われた、当時の孫にあたる人物?!男だけど女の子のような容姿だった史実が。)
ものすごく鳥肌が立つのと、涙が出るので、これはそうなのかも…と感じ。
当時の孫にあたる人物は、歴史上では山口県で亡くなったことになっているけど
徳島県で生き延びていたという伝説があると聞いて
http://aikowatanabe.com/2018/11/30/823/
私の過去生かも知れないと言われる人物は、
きっと偽物の孫を連れて山口県に向かったと思っていたけれど
もしかして、その人物も偽物だったのかも~!!!(でもあり得る!)
そうすると、山口県で亡くなった方はどなた?
身代わりになって下さって有難いというか申し訳ないというか…御礼を言いたい
と感じてセッションが終わりました。
2週間後、その霊能師さんに春休みに入った娘と、母も視てもらって
娘は過去生まで視る時間が無かったのですが
私が同席できなかった母のセッションの録音を後から聞くと
(母がよく理解できなかったというので文字起こしをしてあげたのでした)
母の過去生にも、平安時代の終わり頃の女性が出てきました。
・あなたは何かとても大事な家宝のようなものを託されて、逃げています。
・その家宝とは玉(ぎょく)で、煌びやかな布袋に入っています。
・瀬戸内海のあたりを逃げて行っています。
・最期は後ろから背中を切りつけられるのですが、観念して海に飛び込みます。
・敵につかまらないよう重しか何かを付けて海の底に沈んで行きます。
・言いつけを守りとおすことが出来たことで満足して命を終えます。
文字起こしをしながら、涙が止まらなくなりました。
なんと私の過去生かも知れないと言われる人物の身代わりとなったのは、
今の母だったかも知れないと思ったら、感謝の気持ちがあふれ出て
2日間ぐらい思い出しては涙していました。
実は、母の口癖のひとつに「愛子さんの言いつけを守らなきゃ」みたいなのがあるんです。
BODY MIND SPIRITも起業以来ずっと一緒に仕事をしているので
いろいろ仕事を「お願い」するわけですが
その仕事の依頼を「最優先」に「嬉々として」取り組んでくれて
でも「愛子さんの言いつけを守らなきゃ」という感じで
私の母なのに、まるで「家来」みたいな言動をとることが多くて
不思議だなぁと思っていたのですが…
過去生シンクロが完結したのは、この母と娘が受けたセッションでした。
さて、霊能師さんをご紹介頂いたのは
サロンで神棚をお祀りするために詳しい人にお聞きしておきたい
ということがきっかけだったのですが
3月11日の私のセッションの最後にお伺いすると
「ご自分で祝詞を上げますか?」と聞かれて
ちょうど3月初旬に大神(おおみわ)神社で御祈祷をお願いした時、
神主さんの祝詞に心がこもっていて
その時ふと「私も祝詞を上げてみたい」という考えがよぎったことを思い出し
「はい♪もし私が上げても大丈夫なのであれば是非♪」
ということで
神棚お祀りの祝詞や奏上の言葉をPDFで送ってくれたのでした。
時、同じくしてその3月11日の夕方。
3人目の人物で「神仏世界に精通している方」が
初めてのメッセージを送って下さったのですが
私がそれに気づくのが3日後。
その方とのやり取りでいろいろ教えて頂きながら
4月に表参道サロンに神棚をお祀りし
5月に自宅で神棚をお祀りし、お祈り瞑想を開発しつつ
3月~今現在まで、私がシンクロニシティを辿って
各地の神社やパワースポットを巡っている時も
何も知らない私に神仏世界のことを沢山教えて下さって、本当に有難いことです。
私だけで留めておくには勿体ないので
次回の投稿で皆さんにもいくつかシェアできればと思います☆☆☆

5か月間の過去生を辿る旅シリーズが完了して、そこから激化した「神様系シンクロ」。(交通系シンクロ、過去生シンクロ、に続いて新ジャンル?!)
春分の瞑想イベントと3月末の熱田神宮での大瞑想会では下記のスライドで概要をちょっとだけお話ししたのですが
始まりは、今年のお正月に家族で台湾旅行をしたところからでした。
元旦の早朝便で台北に向かい、宿泊先のホテル(圓山大飯店)に着くとお昼時だったので飲茶でもしようと(実は飲茶のレストランは1階にあったのに私が勘違いをして)階段を昇って行くと圓山大飯店は昔「台湾神宮」だったという説明書きと写真が掲示されていて、以前お勤め時代に20回以上は出張で台北に来て、圓山大飯店も訪れていたのに新発見。
そして飲茶レストランがあると勘違いしたまま奥に進んで行くと、大きな金色の龍がドドーンと設置されていて、元々は台湾神宮の池にあった銅製の龍が戦火を逃れて無傷だったことから「百年金龍」と呼ばれ、風水で運気の集中点「龍尾穴」に置かれ物凄いパワースポットと判明。
家族と「ここは気持ちがいいね~~」と昼食のことも忘れてしばらく龍のまわりで過ごしていました。その裏山が「剣潭山」だと知って、ここでも「つるぎ」?とよぎったりもしましたが・・・。
2日目は台北の観光スポットのひとつだけれど「龍山寺」を訪れ、
3日目は高雄に行こうということになり、一番の目玉が「龍虎塔」
・・・ずいぶんと「龍」づいた旅になりました。
そしてお正月明けは、毎年恒例となったボディ・マインド・スピリットの初詣(@明治神宮)&新年会。表参道サロンは私やセラピストさんや受付担当だけでなく、在宅勤務やシフト制で手伝って下さるメンバー総勢12名で成り立っているのです。
ご祈祷の受付を済ませ、待っている間に皆さんの近況など聞いていると、ひとりが
「先日、奄美のユタさんとご縁があって家の神棚のことを見てもらったら龍・龍・龍・龍、仰っていて~」
と言うので「私も台湾旅行で何だか龍・龍・龍・龍、していた~!」と答えると
セラピストさんが「私も今度、ついに奄美に行くことになったんですー♪」となって
私は、母方の祖父母がふたりとも奄美出身なのに母も私も一度も行ったことがなくて
(奄美大島には)いつか呼ばれた時に行こうと決めていたのと、
昨年6月に出雲大社でご神事イベントを開催することになってから奈良県の大神(おおみわ)神社をお参りしたり、改めてお伊勢参りをしたり、夏休みには宮崎県と奈良県で神社巡りをしたりで御祈祷を受けた神社から頂いたおふだがサロンの商品棚の上にズラリと並んでしまったのを「ちゃんと神棚にお祀りしたい」と思っていたので
私もサロンの神棚の件で奄美のユタさんに見てもらいたい、とお願いしたのでした。
そして立春の日に福岡空港でエスカレーターから落ちるアクシデントで「止まれ」のメッセージだと(1週間ぐらい経ってから)気づき
http://aikowatanabe.com/2019/04/14/895/
3月下旬の西日本行脚・瞑想会の予定を少しずつ中止していくと、奄美のユタさんからの返答が紹介者をとおして入り始めたのです。
私が遠出できるのは、月に1度だけ家族から地方出張を許されている週末の前後。
3月1日(金)訪問希望を出しておいたところ「3/1の11amにおいでください」という返答があり、
飛行機の発着時間の都合から3/1の1pmにお会いすることになりました。
1泊するので宿をとる際に(私は楽天トラベルをよく使います)奄美大島の南端と空港に近い宿の2か所を予約しておき、空港に近いほうをキャンセルしようとしたら取消不可・支払い済みと判明。改めてロケーションを確認したところ住所が「龍郷町」…また龍~?!?!
となったのですが、ここからは駆け足でまとめていきますね。
初の奄美大島には鹿児島経由の便で向かってレンタカーを借り、
3/1の1pmに無事ユタさんのお宅に行き着くことが出来ました。
BODY MIND SPIRITを起業してからチャネリングやリーディングが出来る方々にお会いしたりセッションを受けたりする機会は結構あったのですが、日本の神々とつながってメッセージをおろす人にお会いするのは初めて。
氏名と生年月日を伝えると色々感じることを仰り始め、30分ぐらい経って突然、沢山の情報を受け取り始めたようで
かいつまんで書くと:
上のチャクラが開いている/まっすぐ天の光が入って来ているからきちんと神棚を立てるべき/この時期がようやく来た/先に進むには綺麗に扉を開けなければ/完璧にアマテラスの守護/三輪山が見える。ご神体の山に昇るべき/過去生を辿るのも終盤で、きれいになっていき神棚を立てる時が来た/自宅には大きな龍神がトグロを巻いて守っている/アマテラスが強いけれど観音菩薩の慈悲の形で動かされていて未来に導く/その光に様々な神様が来やすいけれど自分に値する神様をお祀りすべき/あなたが和歌を詠んでいる声がずっと聞こえている/天と地がつながっていないのが問題/etc…
・・・ただ時々「子を取られる/家族を取られる」(ちゃんとしないと災いが降りかかる)という表現があったので、そういう信念システムは受け入れたくないなぁ・・・と感じていました。
龍郷町の宿はプライベートビーチに面したバンガロータイプのお部屋で、その日も翌日も雨の予報だったのだけれど到着すると雨が上がってバルコニーから夕凪(ゆうなぎ)の海辺を堪能することができ、翌朝もどんどん雲が晴れ上がり!
そのビーチヴィラに滞在している間に沢山の気づきや洞察を得たのですが、そのひとつがこの14年間、追求してきた「BODY-MIND-SPIRITのバランスと統合」に関しての新しい側面でした。
◎「ボディ」とは身体や物質そして現実での出来事などを指していると思っていたけれど、それだけでなく体の細胞・DNAが両親⇒先祖⇒日本の神々に繋がっているのだということ。
◎「マインド」は思考・感情・感覚・イメージのことだけれど「今現在の自分」を表しているのだということ。
マインドが「ボディ」と「スピリット」を繋いでいる通路だとチョプラさんから聞いていたけれど、通常はマインドが思考・感情・感覚・イメージで塞がっているところを朝晩の「瞑想」でそれらを取り払い、通路を(隙間を)開けている行いなのだということ(これは認識していたけれど改めて実感)。
◎「スピリット」の領域に属している「魂」は、過去生というものがあるとしたら日本以外の国々(あと地球以外の星々?!)の変遷もあって、そのご縁で繋がっている魂たち(今現在、生きている人たちも含め)と再会してカルマの精算をしたりしていること。
◎「ボディ」が先祖を軸にしてご縁のある存在たちと繋がり(先祖の守護も得られるけれど、今の体を選んだことによって先祖代々のカルマの精算も一部引き受けた可能性もある)
「スピリット」が魂を軸にしてご縁のある存在たちと繋がって最終的には大いなる存在とも繋がっている中、
「マインド」が今この瞬間に自分が経験していることであり、過去を癒したり・パターンを解放したり・間違った思い込みや刷り込みを正したりして、未来を創造できる唯一のポイントであるということ。
など等、新しい軸で再認識したのと
◎色々な瞑想がある中でも、原初音瞑想は特に自分の魂とつながってその先のスピリット(全てが繋がっていている場)に直結させる特徴があるので、魂を軸にしてスピリットの要素を三次元の世界に持ち帰って来ることによって日常での恩恵を得やすいけれど、原初音瞑想プラス「祈り」をとおしてご先祖様や日本の神々と繋がっていくことも今回、日本人として生まれたからには大事なことで、有利な点?でもあるということ。
◎ユタさんから「天と地がつながっていない」と指摘されて「グラウンディング」するためのいくつかの方法を実践すべきかなとも思ったけれど、私の場合、目に見えないものを信じない一環で「ご先祖様」とか「日本の神々」もほとんど意識して来なかったし、祖父母のお墓参りさえしていなかったことが「地」としっかり繋がっていない要因だ…ここらへんを正していこう。そう決心したのでした。
土曜のお昼の便で奄美大島から大阪に飛んで瞑想会を開催し、
翌・日曜日に1day瞑想講座が終わったらレンタカーを借りて兵庫県の淡路島を渡って徳島県の鳴門に一泊して
月曜の朝に「伊弉諾(イザナギ)神宮」に初参拝してから大阪の伊丹空港に戻り、東京に帰ろうとしていたのですが
ユタさんが「(奈良県の)三輪山が見える。ご神体の山に昇るべき」と言っていたことと、1年3か月前に大神(おおみわ)神社に初参拝した以来で、1年過ぎる頃から気になっていたので
奄美を発つ前に徳島県 鳴門のホテルをキャンセルして、奈良県 大神神社の近くの宿を予約し、レンタカーはそのままで行先を変更すること、三輪山をご神体とする大神神社を会社の「崇敬神社」としてお祀りすることを決めてから大坂に向かいました。
(ちなみにBODY MIND SPIRITの会社のロゴマークは「三つ輪」なので、三輪山が気になっていたというシンクロもあります)
私のシンクロニシティはよく原初音瞑想実践者の方々と展開していくことが多いのですが、その晩の「瞑想会 in 大阪梅田」で奄美大島に行って来たことと、月曜日は奈良県の大神神社に参拝してボディ・マインド・スピリットの崇敬神社としてお祀りすると決めたことをシェアすると、
・原初音瞑想を始めて1ヶ月で物凄い効果を実感して大きな商談がどんどん決まっていると報告して下さった若い経営者さんから「僕の崇敬神社も大神神社です~毎月お参りしてますよ!」ということがあったり、
・大阪での瞑想会と講座の世話役をして下さっている瞑想ファシリテーターさんが「ちょうど大神神社におふだをお返しに行こうと思ってて、月曜は空いているのでご一緒しましょか?」となったり
・私もスマホのカレンダーで3/4(月)の予定を「伊弉諾神宮」から「大神神社」に書き直さなきゃ、と開いたら既にそう書いてあった!(昨年12月に大神神社の初参拝から1年経って「大阪出張の際にお参りしよう」と先の予定に書き入れていたのでした)
というシンクロ3件、連発で:
今後、三輪山に登拝する準備が整ったら(私の場合まず脚の筋肉をつけないと無理なので)経営者さんが同行して下さると申し出てくれて、
週明けの月曜日は瞑想ファシリテーターの女性と一緒にお参りし、その日も一日中雨の予報だったのに大神神社の一の鳥居をくぐると雨が止み、最後の鳥居をくぐったら雲に隙間が出来て太陽がうっすら顔をのぞかせてくれて、参拝が終わって一の鳥居を出るとまた雨が降り出す、という「原初音瞑想アルアル」を二人で経験して大いに盛り上がり!(しかも二人とも「お参り中は雨が降りませんように」と設定していたことも判明^^)
大神神社ではご祈祷も受け、神楽の奉納もしたのですが、巫女さんや神職さん皆さんとても親切で、神主さんの祝詞も心がこもっていて(その時ふと「私も祝詞を上げてみたい」と思ったり)ご祈祷後のお話しも愛に溢れていて、とても良い時間となりました。
ボディ・マインド・スピリットの崇敬神社としての大神神社のおふだを頂いて帰り
氏神神社は明治神宮なので、神棚に入るおふだを改めて頂いてくるのと
今年1月中旬に伊勢参りをしていたので天照皇大神宮のおふだも既にあって
洋風のお部屋に合う神棚も(Amazonで!)注文して
3月中旬に奄美のユタさんに東京までお越し頂き神様をお祀りする儀式をお願いしていたこともあり、物凄いハイスピードでサロンに神棚を立てる準備が整った矢先に
ちょっとしたきっかけで奄美のユタさんから
「今回は見送らせて下さい」というメッセージが来て、
実はかなりホッとしたのですが(「子を取られる/家族を取られる」という信念システムは受け入れたくないと感じていたので)
サロンに神棚を設置するにあたっては、専門家や詳しい人に相談して行いたいな…
と思っていたところ、
その日サロンでお会いした原初音瞑想実践者の方が「神道に詳しい人を知っていますよ。宜しければ紹介しますが」と、Facebookですぐに繋げて下さって、3日後に3人ともその日だけ都合がつく!というシンクロで早速お会いすることになったのでした。
2019年元旦から始まっていた神様系シンクロ、書き出したら結構(シンクロ満載すぎて)長くなり、、、3部作になりそうです。
続きはそんなに間を空けずに書きますね☆☆☆

昨年11月1日に徳島県を訪れてから始まった、
http://aikowatanabe.com/2018/11/30/823/
平安末期に生きていた女性の過去生シンクロを辿って
11月末に屋島(香川県)⇒12月に宮島(広島県)⇒熱田神宮(愛知県)
⇒今年1月に伊勢神宮(三重県)⇒平安神宮(京都府)⇒能福寺(兵庫県)
⇒2月に下関(山口県)⇒水天宮(福岡県久留米市)を訪れたわけですが
家族から月に1度だけ許されている出張(地方都市での瞑想会と講座の開催)の前日と翌日だけを使って、すべて各地の原初音瞑想実践者の方々との連携と導きで行先や同行者が決まっていきました。
元々は「3月下旬に9日間にわたる西日本行脚 瞑想会を開催しよう」と閃いたことから下見のつもりで各地を訪問していたのが、立春の日に久留米の水天宮を訪問し終わった帰りの福岡空港でスーツケースごとエスカレーターから落ちるというアクシデントがあり(奇跡的に無傷で。あ、額に小さなたんこぶ1個作りましたが^^)、それが「止まれ」のメッセージだ(下見だと思っていたけれど必要なプロセスが完了したのだということと、家庭を顧みずに仕事ばかりするのではなくて家族を・娘を大切にしないと)と気づき、元々の西日本行脚として計画していた瞑想会をひとつひとつ中止していくと(…苦渋の決断でしたが!)今度は「日本の神様シンクロ」が展開していったのです。
…が、その前に過去生シンクロを辿って行った実体験から得た「過去生や魂に関する洞察」をシェアしておきますね☆
私は目に見えないものを信じない性分なので、昨年11月から過去生シンクロが完了するまで「前知識」を敢えて得ずに(一応、人物の名前でネット検索してウィキペディア情報ぐらいは参照しましたが)偶然とか、現地の人のお薦めで且つタイミングが合うもの…つまりシンクロするものだけを辿って行ったのでした。そうすると
訪れる場所によって感じるものが違って:
◇懐かしい感じがするところ・しないところ
◇その当時の情景が思い浮かぶところ・浮かばないところ(単なる想像かも知れませんが)
◇その過去生らしき人物が、こんな思いで過ごしていたんだろうなぁ、というリアルな感覚(これも想像かも知れませんが)
◇その地でご一緒した方々と、その時代について話すたびにお互いに鳥肌が立つ現象
(私はずっと「鳥肌が立つ」=真実が語られているという印として使っていました)
◇自分が当時そこにいた感覚が無い場合は自然と当時の関係者たちを(戦乱の時代だったので)「とむらう」「ねぎらう」「感謝する」気持ちで祈っていたこと
これらの体験から何となく:
〇その過去生らしき人物の当時の思いに心を寄せることによって過去を癒すことができるんだなぁという感覚
〇当時の関係者たちに思いを馳せて祈ることによって、その魂たちにも何か良い影響を及ぼせる感覚
〇これまでに出会った人たちは(家族もふくめて)ほぼどこかの過去生でご一緒していたんだろうなぁという感覚(「ご縁がある」ってそういうこと?)
〇過去生を癒すプロセスで、当時のご縁や能力が蘇る感覚(同志と繋がっていったり、その当時に得意だったことなどの潜在能力が目覚める感じ)
〇「今現在」の自分が「魂」としての連続的な存在としての自分を癒したり、解放したり、やり直したり、改めたり、改善したりする代表選手なんだなぁ、という感覚
〇それでも、そんなことを言ったら過去生なんてきっと物凄い数があるだろうから、過去の人生すべての悔いを今回の自分が果たすなんて無理。「そういう人生だったのね」「そんな悔いが残ったのね」と或る意味「あるがまま」を受け入れるというか認識するというか理解するだけでも十分。不完全であることも完全であるという感覚
などを味わいました。あと、
◎私の場合はシンクロニシティが重なったから注目したけれど「今現在の問題解決に必要な過去生が浮上する」ということ。(必要が無ければ出てこないし知らなくてもいい)
◎今回の人生を振り返るだけでも全てを解決できる。過去生まで遡らなくても、今生の幼少期などに現在の問題解決のカギになるものが埋め込まれているということ。
◎今現在の問題を解決したり自分を癒したり何かを解放したりすることに繋がらなければ、過去生を知ってもあまり意味がないということ。
◎私のようにシンクロニシティで自然に過去生を辿るのではなく、意図的に過去生を知りたいなら「リーディング」より「ヒプノセラピー」がお薦めということ。(上記の目的が果たせるので)
でも、各地を訪れた時に感じたことと今年の3月にたまたま受けた過去生リーディングの結果を合わせたら「歴史ではああいうことになっているけれど実際はこうだったのかも…!」と鳥肌と共に実感することが多くて、「歴史とは(近代史とかでなければ)後々の人たちが想像して語り継がれたもので、時の権威が採用した(或いはその時に作成した)『物語』なのだなぁ」と改めて思いました。
あとは今年に入って(これも流れから)日本に古くから伝わる<姓名と生年月日>から運命や使命を読み取る鑑定を受けた時に「御霊(みたま)分け」という言葉と考え方に触れ、
魂が成長して大きく(?)なると複数の魂に分かれる
<1つの魂が純粋に複数に分裂するというよりは、その成長した大きな魂の要素(データ)を個々の魂がコピー&ペースト(貼り付け)して自分の情報として取り入れる>
ことが可能で、同時期に同じ過去生をもつ人物が複数いてもおかしくないということを知ってからは
その過去生が本当に自分だったかどうかを厳密に確認する必要はないし、何かのご縁でその魂の思いを引き継いだり、供養する役目を引き受けたりということも、あるかも知れないなぁと感じました。
3/1から始まった「日本の神様シンクロ」の中でも「過去生シンクロ」がオーバーラップして必要な癒しや気づきを得て、1つのプロセスが終わると次の扉が開いて…という感じで、順番に導かれて行きました。
3月からの展開は次回のブログ記事でまとめようと思います☆☆☆
予告1:現在「お祈り瞑想」デザイン&検証中。
http://www.bodymindspirit.co.jp/aiko_meditation.html
予告2:サロンに日本の神様たちをお祀りした10日後には弥勒菩薩の陶彩画複製、龍上の観音像、新生児のキリストを抱いたマリア像も加わることに?!

前回の投稿から何と3ヶ月半も空いてしまったのですが
<その間の状況はこっちのブログ(11月8日投稿)で報告していました>
http://wellbeinglife.jp/2018/11/08/the-healing-self/
11月1日から(これはただ11/1になったからではなくて、11/1にある行動を起こしたからですが)
シンクロの起こり方が、分刻み(時には秒刻み?!)に細かく起こって
即・行動を起こしたり、行動すると決めたりすると
どんどん展開していき、点と点がつながっていく、ストーリーや流れがうっすら見えて来る…という毎日です。
瞑想会のように大勢の方とお会いする場で交わされる言葉や
http://www.bodymindspirit.co.jp/aiko_meditation.html
11月8日から再開した個人セッション等で出会う人たちとの会話の中にもちりばめられて
http://www.bodymindspirit.co.jp/aiko_guide.html
その中でも特にシンクロしている方々とは実際に協業していくことになったり
この先の活動につながっていくという状態。
カオス的でもあり整然としているような、
目まぐるしさと共に「あまりなにもしていない」感もあり
複数のことが同時多発して進行中だけれど(マルチタスクに見えて)
本人はひとつひとつこなしているシングルタスクな感じ。
「シンクロを起こしたい」と感じている方がいらっしゃったら
シンクロは気づくこと。そして行動を起こすことです。
コツに関しては2つ前の記事「もうシンクロしか無い…そのコツは?」
http://aikowatanabe.com/2018/07/21/736/
に書きましたが
補足としては
シンクロニシティ=意味のある偶然の一致
と定義されていたりするので
シンクロかどうか識別するのに、意味があるか無いか考えた結果
これはシンクロではないと判断して(見過ごして)しまう人も多いのではないかと思いますが
シンクロ辿り歴30年以上?!となった今の私からすると
シンクロが起こった時点で意味が分かることはほとんどないです。
シンクロしたことを辿って(行動を起こして)行った結果、
後から振り返って「意味があった」と分かるのです。
私の中で「シンクロする」というのは
符合(ふごう)する という感じです。
ずっと前だったり、今さっきだったりの過去に
言われたり思ったりしたキーワードや、見たり起こったりした物事が
今また言われたり、見たり、起こったりした
あとは、先日11月8日に出した翻訳本の読者プレゼント【特典2】の音声の中で
下記をお伝えしているのでその部分をシェアしますね。
===============以下抜粋===========================
2005年にディーパック・チョプラ主催の「シンクロ・ディスティニー」という4日間のセミナーに参加した際、チョプラ氏に「偶然の一致は、何回起こったらシンクロニシティなのですか?」と質問したところ、「2回で充分。」ということでした。
例えば「最近ふと思い浮かべていたことが、誰かの口から出てきたり、テレビやラジオから耳に入ったり、文字が目に入ったり」することや「何かに参加しようとか、人に会おうとした時などに、スケジュールが合ったり」することや「初めて会った人や、久しぶりに再会した人と住んでいる場所が近い、共通の「友人」がいた、同じことに興味を持っていた」など、「意味のある偶然の一致」と言っても深いものから浅いものまでいろいろあります。私自身、何かしら偶然に一致していることがあれば、取り敢えず注意を払いますし、何かしらの行動をとっておく傾向にあります。そして、行動はとりますが、深追いはしません。つまり、自然に展開したり、スムーズに流れていけば注意を払い続けて行動をとりつづけますが、展開が止まったり流れがスムーズではなくなったりしたら、そのままにしておいたりします。
そのような自然な流れに沿って進んで行くと、偶然の一致の深い意味というか、何のためにそのような偶然が起こって行ったのかが後になって分かる、という、そんな感じです。
===============抜粋おわり=========================
それで、今日の記事の信じてないのに過去生シンクロが続いていくことについてですが
過去生とか信じていないのに、今年の8月前半に起こった出来事は
前回のブログ記事「シンクロに導かれて直近の「前世の自分」と対面?」
http://aikowatanabe.com/2018/08/16/762/
で勇気を出して書きました。
書いたことで、もうこのことは済んだかな☆と思っていたのですが
8月下旬から、私の頬に赤い炎症(直径1センチ位)が出て来て
いろいろな食べ物を検証~と思って自分の体で実験していたから、
新たに導入した食品4種類のうち、どれかかしら?
と1週間に1種類ずつ除去していたのですが、
4種類とも除去しても頬の炎症は広がるばかりで
10月中旬には、目の下の頬全体が(長さ10センチ、高さ6センチぐらい)赤くなってしまったのです。
ふと、直近の前世についてカナダ人ヒーラーさんから言われた時(2016年春)に
私の右目の周りが額のほうまで赤く炎症を起こした状態が長引いたからだった…
と気がつき(遅い?!)
「前世の自分」の石碑があるという徳島県に行かなくちゃ。
と思い立って、スケジュールを見ると11/1(木)~2(金)が空いていたので
(10日前の10/20に)即・航空券を購入して行くことを決めました。
そして、徳島県在住の原初音瞑想実践者で
瞑想ファシリテーターでもある30代の女性に
「突然ですが11月1日から1泊2日で徳島に行くことにしました~」
とメッセージを送ると
「私もその2日間、奇跡的に空いてます!すべてご案内します!!」
というシンクロと
せっかく初・四国なので徳島県で瞑想会も開こうということになり
そして「前世の自分」らしき人物の石碑の場所も調べてくれることになりました。
当日、空港で再会するまでどういうアレンジになったか知らなかったのですが
石碑があると言われている町や地域(徳島県の南端)の役場に問い合わせて
何人も対応して下さったのに誰も分からなかったところ
彼女(徳島県の北部に在住)の亡くなったおじいさまが懇意にしていた方が
その町にいたというのを、ご健在のおばあさまが思い出して住所録を調べ
その方も亡くなっていたのだけれど、息子さんがその町の公務員でいらっしゃって
その息子さんと連絡がつき、その方が2年前に
私の前世らしき人物の甥っ子のお嫁さんと仕事で関わったことがある
ということでご紹介頂けることになり、
徳島空港から車で3時間ほど南下した町役場でお会いした
お嫁さんは私と同年代ぐらいだったのですが
その一族の石碑やお墓のお世話を任されている女性だったのです。
そういう細かいシンクロが、物凄い量とスピード(分単位)で起こって行ったので
あとはザックリ書かせてもらうと、結果的に
◎ お墓参りができて、お嫁さんとのさらなるシンクロ話が展開した
◎ 石碑は「私の前世らしき人物」が生まれた家のお庭にあったので、生家を訪問することになった
◎ その地域に近づくにつれ私がニュージーランドに6回も滞在して大好きだった景色に酷似した場所が3か所もあった
◎ 生家の敷地内にある裏山に、その家で代々祀っている龍神さまがいらっしゃるという話を聞いた
◎ 「私の前世らしき人物」は8人兄弟姉妹の長男で、弟さん妹さん6名が今もご健在だと分かる
◎ その女性とはLINEでつながって今もやり取りをしている
お墓参りもできたし、これで事は済んだかなと思っていたのですが
翌日、徳島市での瞑想会で:
その日の朝にふと「島シリーズ」で瞑想会を開いて行こうかな、徳島の次は広島かな?その次は鹿児島かな?なんて思っていたところ
香川県在住の女性が私と色々シンクロしていたと話している流れで「香川でも瞑想会を開いて下さい~」と言われ、いやこれから「島シリーズ」で行こうかと思っているんですよ~と答えつつ、お住まいはどちらですか?とお聞きすると「住所は〇島なんです」と言われ
ん・・・? 島?(島シンクロ?)と思っていると
彼女が「私の住んでる〇島には〇〇〇〇がお祀りされてるんです」
と言われて、
〇〇〇〇と言えば、2年前に京都のお坊さんに過去生をリーディングされた時に
娘の過去生だったと言われた人物で、
その時、私はその人物の祖母だったと言われたことを思い出し、
「島シリーズ」で瞑想会を開いて行こうと思ったのと、
娘の過去生と言われた人物の名前がシンクロしたので
次の大阪出張の前日にあたる
<11月30日(金)に香川県で瞑想会を開きます>
と決めて、翌12月1日にその人物ゆかりの地を訪問することにすると
次の瞬間にご紹介された男性が、東京の代官山から徳島に移住した先が
前の晩に私が訪問した(徳島の中央、山奥にある)「四季美谷温泉」だった
というシンクロから話が始まると、
徳島の魅力を話している時に
「三種の神器のつるぎが・・・」という話になり
あ、私が(娘の過去生だと言われた人物の)祖母だった際に
関わっていたとされる「三種の神器のつるぎ」・・・?と符合して
ん?! と思っていると
今度は次にお話した人が「〇〇〇〇(娘の過去生だと言われた人物)が
歴史上では山口県で亡くなったことになっているけど
徳島県で生き延びていたという伝説があるんですよー」
と、まるでリレー形式で話がつながっていくので
〇〇〇〇 と人物名で検索してみたら
「つるぎと龍神様と関係がある」という情報にヒットして
龍神さま? あっ、昨日訪問した私の直近の前世と言われた
特攻隊員の生家の裏山に龍神さまを祀っていると聞いた・・・
と龍神シンクロも出て来て、
ムムム・・・今年の6月1日に出雲大社でご神事イベントをプロデュースした時に
http://www.bodymindspirit.co.jp/20180601.html
浮上して来ていた龍神さまとの関りや、
その際に「三種の神器のエネルギーが集められて・・・」というキーワードを耳にしていたことを思い出したり
11月10日に名古屋で初・瞑想会を開いた際に
名古屋は最初で最後かな~?と思っていたのに
ご参加の皆さんから(有難いことに)「また来て下さい~」のラブコールで盛り上がる中
「熱田神宮」「三種の神器」というキーワードが多出するので
ふと「わかりました!今度は熱田神宮で瞑想しましょう。その際につるぎのエネルギーをお返しします」
という決意表明をしている自分がいて
なんのこっちゃ?! なのですが(汗)
過去生は信じていないのに
シンクロは信じている(符合したことを信頼して行動に移していく)ので
どんどん展開していってしまうのです・・・・!
でも、動かされながら(自分で動きながら?)感じていることは
「喜びに満ちた平和な世界を創る」という今生の願いと
完全に連動しているということ。
そして、9月に入ってから「11月から本番が始まる」と直観したのは
「多くの人が魂レベルで生きていく時代に入った」ということで
その頃は、多くの人が生まれて来た目的を果たしていく感じになるのかな・・・?
と思っていたのが
私自身は11月に入って突然、過去生に関することが表面化してきたので
「魂レベルで生きていく」って、過去生も含めた連続的な存在として
無念の残った人生があったら、今生の自分が代表選手として?
癒したり、果たしたり、感情を解放したり、より良いものにしていったり
当時の仲間たちとも再会し、協業して、癒しと解放の輪を広げていく
そういう側面も含んでいるのかも・・・と感じています。
チョプラさんが「私たちは多次元的な存在だ」と言っていたのが
何となく肌で感じ始めた今日この頃です。
さて、明日(12月1日)は香川県の〇島を訪問して
過去生らしき人物とゆかりの土地を巡ってきます。
今日の高松での瞑想会、そして珍しく夕飯をとることになった場所でも
たくさんのシンクロ展開があって!
そのあと大阪で瞑想会と1day原初音瞑想講座を開催したら
http://www.bodymindspirit.co.jp/meditate_Osaka.html
初の広島入りです。
12月3日(月)は早朝に厳島神社をお参りして、
その後 10:30~広島 平和記念公園内で瞑想会を開催。
http://www.bodymindspirit.co.jp/aiko_meditation.html
一旦、帰宅した後
12月4日(火)は日帰りで名古屋の
熱田神宮を参拝してくることにしました。
来年3月30日(土)に熱田神宮の100名入る講堂が手配されたのです。
今年の出雲大社に続き、熱田神宮でもご神事イベントを開催することになるかしら?
シンクロは、もう趣味のようなものなので・・・辿って行くしかありません☆
でも、こういった非・現実的な現実が起こっているのと同時に
通常の現実的な物事のシンクロ案件も複数展開して行っているんです。
11月に入って特にたくさんシンクロしながら進んだり始まっているのは:
◎ 原初音瞑想講座オンライン版/DVD版の受講者が急増して、
http://seminar.bodymindspirit.co.jp/
毎朝8名~16名にマントラ授与のプロセスを収録している(まるで朝のお勤めのよう?!そして全国各地の原初音瞑想実践者がどんどん増加している状態)
◎ 台湾から来年5月に招聘されて、5泊6日で「原初音瞑想講座」と各地での瞑想ワークショップを開催することになり、それに向けたプロモーション企画が進んでいる
◎ 武道のご宗家とコラボレーションしていくことになり、12月に新しい瞑想を共同開発する
◎ Wellbeing Foods(ウェルビーイングフーズ)ブランドでの商品化、第2弾と、第3弾の話しが進行中
https://www.bodymindspirit.jp/SHOP/101.html
◎ 私の5冊目となる本の企画が始まるところ
http://aikowatanabe.com/books/
◎ 来年から「イングリッシュ瞑想会」を開こうかなと思ったところから、英語、中国語まわりのシンクロが起こり続けている
◎ レクチンフリー食に関するシンクロも、コンスタントに起こっている
http://wellbeinglife.jp/
この11月からの状態を、個人的には「シンクロ竜巻現象」と呼び始めたのですが
次回の投稿で解説しますね☆☆☆

目に見えない世界のことを全く信じていなかった私が(たぶん今もですが^^)
2005年に瞑想に出会い、翌年(株)ボディ・マインド・スピリットを設立して
サロンでは数名のセラピストさんたちによる「ヒーリング」や「リーディング」他、様々なセラピーを提供していく展開になっていったので
私もこの13年間で(特に2012年までの間)様々なヒーリングやリーディングのセッションを受ける機会が多かったのですが
セッションの中で私の「過去生」について言及されることもあり
その都度、まるで映画を1本観るみたいな(ある人物の一生を知るという意味で)エンターテインメントのひとつのように捉えていたのでした。
また、いろいろ過去生があったとしても、全て今生に、現在に集約されているから
「現実をしっかり生きていくのが大事」という信念もありました。
そんな私に、今年の夏の家族旅行で九州を周遊した最終日
8月6日に知覧特攻平和会館で、私の直近の前世の人物に出会う(写真と身元が分かる)という出来事が起こり、
8月15日(終戦記念日)には前世の人物の妹さんがご存命ということも分かり…
あまりにも偶然が重なって行くのと、リアルな感覚も伴っているので
目に見えない物事を信じない私もさすがに・・・
またこのタイミングで起こっていたことから
私の前世かどうかは別として、その人物が伝えたかったことを
私が代わりに伝えることも大事なのかしらと感じて
思い切ってブログに書いてみることにしました。
発端は2年前の2016年春。
私の右目の周りが鼻や額のあたりまで赤く炎症を起こした状態が長引き
「これは何だろう??」と思っていた頃に
エネルギーリーディングが得意なカナダ人ヒーラーさんから来日するという連絡が入り
セッションを受ける流れになったのでした。
早速「この目の周りの炎症は何でしょう?」と聞くと
エネルギーリーディングを始めて下さって:
「あなたの直近の前世での経験と関係があるようですね…
あなたは日本の特攻隊員で最年少でした。
当時の教育と訓練を受けて選ばれしものとなり
やる気満々だったあなたは、意気揚々と飛び立って行ったのですが
ターゲットに突撃する直前に、全てに気が付いてしまうのです。
敵とみなしている相手にも、家族がいて愛する人たちが母国で待っていること・・・
戦争という行いが何と愚かな選択肢であるかということ等・・・。
最後の最後でターゲットからそれて海岸に不時着するけれど飛行機は爆発・炎上。
全身打撲と骨折、火傷を負い、ひどい苦痛の中でも死ねずに2~3日間過ごします。
その間にこれまで受けた教育や戦争の意味、全てを悟り、
悔やみ、悲しみ、あらゆる感情を味わって
また誰もが最善を尽くしていたことも理解し、
戦争の無い平和な世界が実現することを切望して、命を終えました。
その過去生が今、出ている顔の炎症と体中の痛みと関係しているかも知れません。」
それを聞いている間、涙が流れ続けるのと、リアルな感情が伴うこと、
そして今の私が<戦争の無い世界を切望している>
この思いは一体どこから来ているんだろう?
と長年の疑問でもあったので
そうだったのかも知れないな・・・
と感じてセッションを終えました。
目のまわりの炎症がすっかり消えたのはそこから3か月位経ってからでしたが
その頃、誰だったか忘れてしまったのですが
こういうセッションを受けたことと前世が特攻隊員だったらしい、と話した時に
「愛子さん、知覧(ちらん)に行ってみるといいですよ。
知覧には特攻平和会館というのがあって、そこに行くと
特攻隊員の写真が展示されているので、前世の自分に会えかも知れませんよ。」
と言われて、早速「ちらん 特攻隊」と検索してみて
<ずいぶん遠いところにあるんだなぁ・・・>と思ったっきりだったのです。
それが2年前。
今年、6月に出雲大社でご神事イベントをプロデュースしたことがきっかけで
まるでその準備のように、5月に宮崎県の天岩戸神社を参拝したことから
「また宮崎に来たい」→「夏の家族旅行で」→「4泊5日なら九州を周遊したい」
という流れで、熊本空港から入って最後は鹿児島空港から帰って来るという旅程になったのでした。
4泊目は鹿児島県で、ということになり
10歳の娘に「どういうところに泊まりたい?」と聞くと
「キャンプ場に泊まりたい。テントの中で寝てみたい!」と言うので
私は今まだ<床に座ったり立ったり>ができないのでベッドに寝られて
パパと娘だけテントに泊まれるようなところを探していたところ
なかなか見つからなかったのですが
福岡出身の歌手、藤崎理映子さんと九州旅行について話していた時に
「鹿児島なら、砂風呂で有名な<いぶすき(指宿)>によく行きました☆」
と聞いて、ふと「 キャンプ場 指宿 」と検索してみたところ
まさに私が探しているようなベッドでの宿泊もできて、テントもあるというところがヒットし
残り1部屋ということで、即・予約をしたのでした。
そして、九州旅行の4日目、最終地の指宿に向かう最中のこと。
宮崎県の青島から、霧島山の北側を周って鹿児島を南下していくというドライブコースだったのですが
朝晩の原初音瞑想を実践している私が運転したほうがスムーズなのと
私は結構スピードを出すのが好きなので^^ ナビの予測で5時間位かかるところをかなり縮め
指宿まであと1時間ぐらいとなった時に
道案内に「知覧 Chiran」という地名が出て来るようになって
旦那さまに「ねぇ、【ちらん】って何だっけ・・・?」
と聞いて、二人で「何だっけ・・・」と言っているうちに
特徴的な形の山が見えて来て
「わぁ☆この山、いい形!・・・ちょっと富士山みたいな・・・? 綺麗~♪」
などと言っていると、娘が標識を見て
「かいもんだけ(開聞岳)っていう山みたいだよ。」と教えてくれて。
間もなく私が
「あ、知覧って、特攻隊の?」
と言うと、旦那さまが
「そうだ、特攻隊の基地があったところだ。でも何か?」
というので
「実はね・・・以前に、私の直近の前世が最年少の特攻隊員だったと言われたことがあって
その時に<知覧>ってところに平和会館があるから
行ったほうがいいとアドバイスしてくれた人もいて、
すっかり忘れてたんだけど・・・ここだったんだね・・・」
娘は「ママの前世?! とっこうたいって何??」ということで
まずは特攻隊が何か、という話題に切り替わり、
まもなくキャンプ場に到着してパパと娘はバーベキューの後、テント宿泊。
私はベッドのあるホテルの部屋で宿泊となったのですが
その翌朝。
最終日は、夕方の便で鹿児島空港から帰るということだけで
何の予定も経てていなかったので(これも不思議なのですが)
娘と旦那さまと合流した朝食会場で
「ねえ、今日、帰り道に<知覧>の特攻平和会館ってところに寄ってもいい?」
と聞くと、旦那さまは「別にいいよ」
娘は「あ!ママの前世の人ね♪♪♪」
ということで、チェックアウト後に向かったのでした。
知覧特攻平和会館に入って行くと
ロビーで15分間の映像による特攻隊の歴史というのが上映していたので
娘と椅子に座って観始めました。
映像は、あの綺麗な形の「開聞岳(かいもんだけ)」に始まり、
ところどころで山の映像が出て来たのですが
なぜか開聞岳が出て来るたびに涙がこみ上げます。
すると終盤の説明で、特攻員たちが最後に見た本土の風景が開聞岳だったとのこと。
不思議な気持ちで最初の「遺品室」というところに入ると
ずらーっと特攻隊員たちの写真が掲示されていて
写真の下には氏名、年齢、出身地と、出撃日、戦死した場所が書かれていました。
娘と私は、そのうちの半分(片方の壁)しか見なかったのですが
「17才の人が4人いたね」ということで
私はその人たちの氏名と出身地だけメモしていたところ
娘が「ママ、特攻隊の人たちの情報を検索できる機械があるよ。名前を教えて」
と、調べ始めました。
3人の人を調べて「最後の手紙とか、無いみたい・・・」と言っているので
「もういいよ、誰が最年少かわからないしね」
と立ち去ろうとすると
娘が「もう一人の人の名前も教えて!」と私のメモを見に来てまた検索しに戻り
「ママ、この人だけ<プロフィール>っていうページがあるよ!
<最年少>って書いてある!・・・来て来て!」
と言うので見に行くと、
4人のうち、ひとりだけ笑顔が特徴的な
(ほとんどの人が真顔で写真に写っているのに、その人だけ爽やかな笑顔だった)
徳島県出身の井花敏男さんという少年でした。
平和祈念館では写真撮影禁止だったので、
「知覧特別攻撃隊」という写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿が掲載されている小冊子を買って帰り・・・。
それが8月6日。
家族旅行(という名の九州の神社巡り)から戻ってすぐに奈良の神社巡りに出かけたので
小冊子も袋に入ったままだったのですが
8月14日の晩、娘が小冊子「知覧特別攻撃隊」を取り出して来て
「ママー、井花敏夫さんの遺書とか日記とか無いよー」と言っているので
ふと、ウェブで「井花敏夫 特攻 徳島」
のキーワードで検索してみたところ、ちょうど1年前に放送された
NHKの番組で井花敏男さんが紹介された記事が出てきました(!)
http://www.nhk.or.jp/d-navi/link/senseki2017/11/
知覧の平和会館で見た笑顔の写真ではなく、真顔で飛行服姿でしたが
妹さんがご存命のご様子☆
つい1か月前に、徳島県から毎月のように表参道の瞑想会に来て下さっている30代の女性に
「私も、徳島に行ってみたいな~」と話していたところだったので
(でも何のために?と目的は分かっていなかったのですが)
井花敏男さんの実家(徳島県海陽町)のすぐそばに建てられているという
石碑を訪ねて行き、運が良ければ(シンクロが起これば?)
妹さんや同級生だった方々に会えるのかも知れません☆☆☆
それがネ、「戦争の無い平和な世界を切望する」想いや
開聞岳を見るたびにこみあげて来る涙とは別に
もしかしたら特攻隊員だったかもね?と感じることがもう2つあって
ひとつは、私、飛行機に乗るのが好きで
おそらくこれまでに500回近く搭乗しているということ。
(そう言えば初めての海外だったニュージーランドに到着した翌朝、ホームステイ先のお父さんに連れられてセスナに乗りに行き、操縦桿もにぎらせてもらった覚えが!)
もうひとつは、私、車に関して全く興味が無いのに
運転することは好きで、スピードを出すのも大丈夫なこと。
(以前、出張でドイツに行った時に、レンタカーでアウトバーンという高速道路に入ったら「ここからスピード制限なし」という表示になって時速180キロぐらい出していた覚えが!でも現地の方々は時速200キロ超えが普通でした・・・)
もしかすると?もしかするかも知れませんね☆
過去生を現在に統合していっているような、また現在の私が、過去生を癒して行っているような、そんな気もします。
それでも「今、この瞬間」が全てで、
今、この瞬間に創造のパワーが込められている・・・ので
瞑想、しましょう♪

14250039 – dove with olive branch design.

前回のブログが、昨年下半期のシンクロぐるぐる巻きの総集編だったので
カナダ・ビクトリアから始まった新しい展開を書こうとしていたのですが
そちらは現在も絶賛展開中~?!…なので、もう一区切りついたら報告しますね♪
今、インドに来ています。2/1~2/7の1週間。
昨年の11月末に「Wellbeing Café」の企画をしていたところ
至福の食べ物「オーガニック・ギー(精製バター)」を安く仕入れられれば…
というニーズが浮上したことから、
ギーと言えばアーユルヴェーダ → インド!
7年前に離日した前インド大使夫妻が、日本で再会するたびに
「新しく建てた家に遊びにおいで」と仰って下さっていたことを思い出して
全身20か所の痛みもほとんど無くなって来て、一人で海外にも行けそうだし
本の執筆が終わった後…「2月の頭だったら」と思いついて
前インド大使夫人に連絡をとると、
「そのタイミングなら海外旅行から戻るタイミングだから大丈夫よ。いらっしゃい!」
と、快諾して下さって
早速、輸入できるオーガニック・ギーを探さなくちゃと
大使夫人に美味しいギーの調査?をお願いしたり
チョプラ博士の奥様にも問い合わせたり
でもチョプラ夫妻は「アメリカ在住だからインドのギーは分からない」
というお返事だったので、8年前にチョプラ博士から紹介された
インドで一番お勧めのアーユルヴェーダ医師Dr.ラムクマールに
(そこから私はアーユルヴェーダの治療を受けに南インドに7週間入院したのでした)
7年ぶりにメールを送って、お勧めのオーガニック・ギーを問い合わせてあったのですが
年が明けてもお返事が来ないままでした。
「7年も前だから忘れられちゃったかな…」と思い、ふと
私が2年以上、愛用してきた美味しいギーのメーカーはどこなんだろう?
とラベルを見て検索してみると、綺麗なホームページに行き当たりました。
生産者たちの写真は皆インド人で、ブランド名も「インドの」と書いてありつつも
連絡先はアメリカ。あれ?どういうことだろう???
といろいろ見ていると、メーカーのFacebookページにも行き着いて
オーナー社長さんらしき方を見つけたのでその方のFacebookページに行くと
共通の友人に、私がメールの返事を待っているDr.ラムクマールの顔写真が。
知り合いなのかな?と思いつつ、Facebookの友達リクエストボタンをクリックし
メッセージを書こうとメッセンジャーを開いたら
その方がすぐに友達承認を押して下さって
「どうしてDr.ラムクマールを知っているのかい?」
とメッセージが届きました。
「7年前に南インドのアーユルヴェーダ施設でお世話になって…」
と書いている途中に、矢継ぎ早にメッセージが入って来て
「今からDr.ラムクマールに会いに行くところなんだよ」
「今まさに(アメリカの)空港に向かっているところで、今晩インドに飛ぶんだ」
…という、あまりのシンクロニシティにお互い話が盛り上がり
私が2年間愛用してきたオーガニック・ギーはアメリカで作られているものだけど
輸出もOKだし、ラベルをカスタマイズすることもできるし、
何個以上だと卸値はいくら、とざっと見積りまでもらえました。
でもアメリカ価格なので送料と関税で、とても高くつくことに。
その社長さんがDr.ラムクマールに会う予定日も聞いていたので
二人が会った翌日、Dr.ラムクマールに再度メールを送ってみました。
そうしたらすぐに返事があって
「忘れていたわけではないのだけど、とても忙しくて…!
昨日会った彼とは古くからの親しい友人なんだよ。
オーガニック・ギーを探しているそうだけど、どれぐらいの量が必要で
どれぐらい急いでいるんだい?というのも、君が7年前に滞在してから
施設はどんどん拡充して行って(その頃、確かにあちこち建物を増設中でした)
当時2頭の牛で、施設で必要な牛乳をまかなっていたのだけれど
今では32頭の牛を飼っていて、オーガニック・ギーを自分たち作っているんだ。
僕たちのギーを輸入するというのはどうかな?
オーガニック認証で希望の種類はある?」
というビックリな返信内容でした。
・・・それにしても牛が32頭?!?!
<当時「ベッドにアリ100匹~!」事件がありましたが(^^)>
https://plaza.rakuten.co.jp/20070801/backnumber/201006/
当時、滞在していた時に、このアーユルヴェーダ治療院(ヒーリングビレッジ)が
日本人提唱の自然農法を実践していることを知っていたので
その環境でオーガニックに飼育されている牛たちなら安心。
元々7日間ニューデリー滞在の予定でしたが、途中2泊3日で
南インドの治療院を再訪問することになったのでした!
当時のドクターたちも、スタッフの方も知っているメンバーがいるようで
打ち合わせだけではなくて、当時受けていた
アーユルヴェーダのオイルトリートメントもアレンジしてもらい♪
ニューデリーの前インド大使邸に2泊、
南インドのアーユルヴェーダ治療院(ヒーリングビレッジ)に2泊、
またニューデリーの大使邸に1泊させてもらって
預かってもらっていた冬服を受け取って帰国…
というプランで出発!
ニューデリーでは輸入できそうなオーガニック食材を吟味するお買い物に
大使夫人の親友も同行して下さることになったら、その親友のご主人が
オーガニック農園を経営&自ら農業をしているので、
私に会って話したいということになって
インド滞在の最終日に、畑仕事を休んでお宅に呼んで下さり
手作りのオーガニックランチを頂くことになったり
何だかいろいろ有機的にシンクロ展開して行っています♪♪♪
…というところで、南インドのアーユルヴェーダ治療院に到着しました!
続きはインドでの展開はFacebookのウォールに投稿中!
https://www.facebook.com/aiko333

前回のブログでお話しした「ミラクル君」が
http://aikowatanabe.com/2017/11/11/474/
私のところにやって来た経緯をお話ししておくと
始まりは今年7月に福岡で「満月の瞑想会」を開催した時のことでした。
大阪や福岡で大きな瞑想会を開くときは
セットユウイチさんとのコラボでトーク&瞑想会なのですが
7月の「満月の瞑想会」の前日、セットさんから
「ダブルブッキングしてもうたー!」
という連絡が入り、それが瞑想会と全く同じ時間
17時~19時に別のイベントに出演する約束をしていたとのこと!
でも調べたら、そのイベント会場が、瞑想会の隣のビル?!
と、ダブルブッキングも華麗にシンクロしていて☆☆☆
瞑想会の最初の1時間(トーク部分)が終わったら
隣のビルに移動して、そのイベントの後半に出演する
という綱渡り芸をやってのけたセットさん。
私は翌日の1day瞑想講座の会場(オフィス)の鍵の件で
セットさんと確認することが残っていたので
瞑想会が終わった後、隣のビルにセットさんを訪ねて行くと
それは2年前に福岡でお会いした歌手のRiecoさんのライブで
時間が押していたらしく、最後のほう2~3曲、聴くことができました☆☆☆
歌姫…ディーヴァの降臨のような歌唱力とヒーリングヴォイスに感動~♪♪♪♪♪
しかもピアノを弾きながら語ったり、歌を即興で作ったり・・・
あまりにも感銘を受けたのでアルバムCDを買うと
サインをしてくれたので、「2年ぶりですね☆」と話しかけた瞬間、
ふと彼女には原初音瞑想がとても役立つのではと感じ、
「Riecoさん、瞑想には興味がありますか?」 と聞くと
「あります!あります~!!それに今、東京に住んでいるんです~♪」
ということでFacebookメッセンジャーでのやり取りが始まると:
◎2年前に出会う前から、私が訳したチョプラ博士の著作の愛読者だったこと
◎直後に私の「世界のエリートはなぜ瞑想をするのか」も読んで下さって
◎Riecoさんの敬愛するマイケルジャクソンとチョプラ博士が友人同士だったことを知り
◎「いつか原初音瞑想を受けに行く!」と思って下さっていたこと、
◎表参道は事務所に所属していた頃、よく来ていた場所だったこと、
◎私が「俳優・アーティスト向け原初音瞑想講座」を開講したばかりだったこと
などシンクロして、7月末に受講しに来られたのでした☆
すぐに原初音瞑想を1日2回、実践し始めて下さって
「瞑想会に友人を誘おうと思ったら先に申し込んでいました~!」
というシンクロに興奮したメッセージが来て、
そのご友人だとは知らずに私は二人が会っているその時Facebookで
その方からの友達リクエストを承認して、メッセージに返信していたという
同時多発シンクロも起こっていて(^^)
8月の「満月の瞑想会」にRiecoさんと一緒にいらっしゃったのが
ミラクル君のお母さんになる、大変美しくて若い妊婦さんだったのです。
瞑想会の後、すぐに原初音瞑想講座を受けに来て下さり、
8月には6回ほど瞑想会を開催したのですが
毎回、その妊婦さんがいらっしゃって
「瞑想は、胎教にもいいですよ~♪」 と呑気なことを言っていたのに
(てっきり幸せな結婚をされて、出産予定日を待つばかりの奥様だと思っていたのに)
9月の「満月の瞑想会」で初めて自分のことを話されて
未婚で且つ実家も無く、たった独りで出産すると知り
私が『この母子をお守りしなくては。』という強い直感と共に
知り合って間もない妊婦さんに直接、サポート計画を提案しても
受け取りにくいだろうと思い、友達同士のRiecoさんと妊婦さんと
Facebookメッセージグループを作って同時にコミュニケーションをとり、
そこに私の母も加えて「サポートファミリー」という家族を作り
いろいろ申し出を受け入れてくれたので
次にBODY MIND SPIRIT のママさんスタッフと
やはりFBメッセージで「ママ支援グループ」を作って
どんどこ実際のサポートが始まったのでした。
あっという間にRiecoさんと妊婦さんは
BODY MIND SPIRITの一員のようになって
10月の満月にミラクル君が生まれて来て
社宅への引越しも、皆で手伝いながら完了して
「安心できる環境で母子が暮らせるわ☆」と、ホッと一息ついた時、
ふと
「Riecoさん、今って歌手の活動はどんな感じで行っているの?
あとメジャーデビュー時代からのホームページは誰が更新しているの?」
と聞くと、
ホームページをちょうど以前の大手レコード会社の事務所から
移行することになっているのだけれど、ウェブのことが全く分からなくて困ってる
というので、
「私、前職のシステム構築部門のディレクターになる前は
ウェブマーケティング全般を担当していて、最初はウェブプロデューサーだったんだけど
Riecoさんのウェブプロデュース、しようか?趣味で。」
と申し出ると「是非お願いしまーす♡♡♡♡♡」となって
Facebook
https://www.facebook.com/riecohopecy
Instagram
https://www.instagram.com/rieco_xx/
ウェブプロデュースというのは結局、会社とか個人の全容と
ビジョン、ミッション、バリューなどを明らかにしたり、
かなりビジネス面を掘り下げて行くのですが
その作業を進めているうちに、
「Riecoさん全体のプロデュースも趣味でしようかしら?」
と申し出ると「是非お願いしまーす♡♡♡♡♡」となって
久しぶりにプロデュース業務を本格的に行ったのが10月末。
11月1日の朝、
「私、プロデュースが大好き!
私の趣味は、何でもプロデュース。
ウェブでも、アーティストでも、そう言えばイベントも!
これから何でもプロデュースして行っちゃうわ~♪」
と、ワクワクのボルテージがかなり上がった状態になって
そうしたら、その日(11月1日)にシンクロが起こって
私ひとりではなくて、最強のメンバー数名でRiecoさんをプロデュースすることになり
その3日後に福岡で開催した「満月の瞑想会」の直後には
またまたたくさんのシンクロが起こって
今度はご神事イベントをプロデュースすることになって
来週の土曜日に、日帰りでそのご神事の打ち合わせで確定するのだけれど
そのことまで書ききれないので
続きはまた次のブログで報告します!
このプロデュースの流れは物凄い速さで展開して行っていて
11月4日 ご神事イベントプロデュースをすることに?
11月5日 来年は毎月、大瞑想会を含む1dayイベントを各地で開催することに
11月6日 二人目のアーティストプロデュースをすることに
11月15日 表参道でカフェ&ショップのプロデュースをすることに?!
シンクロぐるぐる巻きの過程を、できるだけ記録しておこうと思うので
がんばってブログ書きます~☆☆☆

12年前の今頃、初めてサンディエゴのチョプラセンターを訪れ(当時のブログ記事リンク)
アーユルヴェーダのマッサージセラピストさんに
「人生、変わるわよ~~」と勧められて
当時2005年8月に受講し(当時のブログ記事リンク)
2007年3月に沈黙グループで再受講した(当時のブログ記事リンク)
「セダクション・オブ・スピリット」という1週間の瞑想リトリートに
10年ぶりに参加して来ました!
・・・というのも、このイベントでは
30分間の原初音マントラを使った瞑想の後に、
目を閉じたまま、心の中で唱える「スートラ」を教わるのですが
チョプラ博士から2年前に
「教えるスートラや講義内容を変えたので、また受けるといいよ」
とアドバイスされていたのを、自分の本の執筆と出版で
忙しくなってしまって行けずじまいだったのを
3冊目が発売される直前に「今しかない!」と
思い切って行ってきたのでした。
今回は300人強の参加者で
さすが瞑想集中コースだけあって
1日2回ではなく、1日3~4回も瞑想!
(チョプラセンターの様子はインスタグラムにUPしました)
https://www.instagram.com/aikowatanabe333/
朝は6時から、広い芝生に並べられた椅子に座って
日の出メディテーションを45分ぐらい。
(瞑想前の導入で5分+マントラ瞑想30分+瞑想後のスートラ10分)
その後ヨガクラスに参加して、
午前9時からグループ瞑想を1時間ぐらい。
(瞑想前の導入で5分+マントラ瞑想30分+瞑想後のスートラ25分)
午前中の講義があって
お昼はアーユルヴェーダ式のベジタリアンランチで
ほぼヴィーガン&グルテンフリーのビュッフェ。(嬉しすぎる♪)
午後の講義の後、
1日ごとに少しずつ伝授されるスートラの
伝授前に軽くマントラ瞑想。
そして夕方に、またフルコースの瞑想を1時間。
(瞑想前の導入5分+マントラ瞑想30分+瞑想後のスートラ25分)
サンディエゴ空港に到着した時からシンクロが始まり
(到着する前に、朝の瞑想を機内で行っていたし)
タイミングの良さはもちろんのこと
出逢う人、目に入る物やメッセージ、
全てが意味ある偶然の一致で
チョプラ博士とも、私から面会を申し出たわけではないのに
ごく自然な形でオフィスに招いてくれたりして。
こんな展開でした。
普通にセミナーを受講していたら
2日目にチョプラ博士が見つけてくれたらしく、
秘書が私にメールを送り・・・私はパソコンを見れていなかったのに
秘書が帰宅するところで私とバッタリ鉢合わせして
「”Are you Aiko?” …明日10時にチョプラ博士のオフィスに来れる?
ってメール送ったんだけど」と教えてくれて
そのメールを見逃すことなく、会いに行けたのでした。
次回の来日タイミングについても話し合いましたよ~♪
今回、チョプラセンターに到着した瞬間に
何となくこれまでの12年間が一巡りして
当時頂いたビジョンで、未実現だったことが
ここから改めて顕現していく予感がしたのですが
瞑想リトリート中のシンクロに導かれた
人々との出会いや再会、出来事の中で
当時の意図と願望を実現するために必要な
人々や情報、物質まで、全てが揃った!
そんな確信を得ました。
う~~~ これからの展開がさらに楽しみ~~~~♪♪♪
毎日の瞑想も、朝30分、夕方30分だったところを
最強のスートラを導入して
朝60分(+ヨガ20分)、夕方45分、にしていくので
もう、どうなっちゃうんだろ~!!!
と、ジェットコースターに乗り込んだ気分です☆
シンクロに悲鳴を上げながら、喜んで、楽しんで…
という感じでしょうか☆☆☆☆☆

3作目の瞑想マンガですが
3月6日に文章部分60ページを書き終えて出版社に送ったら、その
3時間後にアマゾンAudibleさん https://www.audible.co.jp/ から
処女作 「世界のエリートはなぜ瞑想をするのか」の
オーディオブック化と朗読依頼のメールが入ってきました。
収録可能な日をいくつか教えてほしいということで、
本の原稿の締切後は、だいたい編集者さんとの
やり取り(フィードバックを受けて書き直しなど)があるので
何日か空けておいた日を提示したところ
先方のスタジオの空き状況ともピッタリはまって
すぐに日取りも決まりました。
さて、そう言えば私、瞑想誘導音声はいくつか作ってきたけれど
本を朗読したことなんて一度も無い…と改めて思い
オーディオブックのサンプルをいくつか聴いてみたところ
プロのナレーターさんが読んでいるものばかり。
わ~、どうしよう~💦 と少し焦ったのですが
でも自分の書いた作品を朗読するのだから
私らしくあればいいかしら?と思い直し
それでも収録までの3日間、早朝に自宅で少し朗読をしたものを
録音して聴いて、読みにくい書き言葉やスピードをチェックしたり
心の準備をしておきました。
喉の準備はいつもどおりで…☆
考えてみたら、瞑想講座や早朝のマントラ録音(オンライン版の受講者用)で
毎日、声を使うお仕事だったんだわ~と再認識したのでした。
白金台にあるスタジオで
アマゾンAudibleの担当者さんと初顔合わせで
そのまま収録に入ったのですが、
わりとすぐに慣れて、撮り直しや確認も含めて
1時間に1章のペースで進めることができ、
2日に分けてレコーディング完了!
その間に編集者さんからのフィードバックが返って来て
原稿を修正して再提出。
そうしたら、2作目の「運のよさは瞑想でつくる」も
著者の朗読によるオーディオブック化を依頼され、
「4月の頭に10日ぐらいサンディエゴに出張なので
その前に完了できれば…」 と言ったら
アマゾンAudibleの担当者さんも
「私も4月の頭にニューヨーク出張なんです!」
とのことで日程を聞いたら、ほぼ同じで
帰国日まで一緒というシンクロぶり。
何だか不思議なぐらいスケジュール調整されていて
スピーディーに進行しています。
まるで目に見えないマネージャーさんが
仕事を管理してくれているみたい。
私にとっては完全に予定外・想定外の出来事なのですが、
複数のシンクロニシティと共に進行しているので
私の「意図と願望リスト」の、何かの実現に向けて
展開して行っていることは確か。
それが何かは分からないけれど、
こういうのが一番楽しくて大好き~♪
後から分かったのですが、アマゾンAudibleで
オーディオブック化されるのは
Kindle版として電子書籍化されるとのは違って
希少な? なかなか無いことのようです☆☆☆

私の処女作「世界のエリートはなぜ瞑想をするのか」 と
2作目の「運のよさは瞑想でつくる」に続き、
3作目はまた別の出版社さんから来春発売の予定で進んでいて
なんとマンガ版の瞑想本なんです。
これまた企画が始まってから全てが
シンクロニシティと共に進行していて
完全に宇宙が?! 介在しているな~という感じ!
2作目を書き終わった今年の1月中旬、
「大笑いしたい!」
という願望が現れたのと同時に
「私の3作目はマンガ版。」
という直観がおりてきました。
まもなく紹介された出版社の編集者さんと
初顔合わせで話が盛り上がり
マンガ版の企画を上げることになって
今考えればそれは図解版だったのだけど
5月頃に社内で承認がおりなかったという知らせを受け、
その企画を別の出版社にまわしましょう
という話しも来たのですが
「シンクロが足りないので・・・」と
わけが分からない断り方をし(^。^)
(でも私にとっては常にそれが第1の判断基準なのです)
ちゃんとシンクロニシティを経験するまで放っておいた件。
9月下旬に、某出版社の女性編集長さんから
1年ぶりぐらいにメールを頂きました。
ずっと忙しくしていたのだけど、やっとお休みがとれて
箱根の温泉に行くことになり、その時
たまたま部下から私の2作目が面白かったという話を聞いて
手元にあったけれどまだ読んでいなかった
「運のよさは瞑想でつくる」を荷物に入れて出発。
温泉宿でリラックスしながら読んだところ
「すごく面白かった!愛子さん、マンガ版の瞑想本を作りませんか?
・・・ぜひぜひ、前向きにご検討くださいませ。」
ということでした。
私は早速
「私の3作目はマンガ版と決めていたんですよ♪
〇〇さんの企画なら是非♪」
と返信したところ
編集長さんはそのメールを見て、しばし呆然としたそうです。
「3作目はマンガ版と決めていた???」
と。
それで、ミーティングは1週間後にアレンジされたのですが
その編集長さんは2007年から原初音瞑想の実践者で
朝は欠かさず瞑想を続けていたところ
「運のよさは瞑想をつくる」を読んで
なんとか夕方も時間をつくって瞑想をしよう!
という思いがむらむらと湧いてきた、ということで(*^^*)
1日2回の瞑想に仕切り直してくれていたからか
彼女がたくさんシンクロを起こし始めたのです。
たまたま知り合いの編集者から
「最近、マンガ版を手がけたのだけど…」という連絡が入り
マンガ本の編集についていろいろ聞かせて!となって
そうしたら、マンガ本を専門で手がけているプロデューサー的な方を
紹介してもらえることになったとのこと。
私とのミーティングでは、お互いのイメージをすり合わせて
編集長さんが自ら企画書を書いてくださり、
そこから2週間後に社内決済がおりたら
その3日後にマンガ本専門のプロデューサーさんに
会うことになり、話を聞くと、マンガ本には
マンガ家さんだけでなく
シナリオ作家という人が介在すると良いとアドバイスされ…
翌朝、いい人(シナリオ作家さん)いませんか?
とメールで尋ねると、
その翌日、ご紹介のシナリオ作家さんと会うことになり
話しを聞くと、たまたま、それまで抱えていた
マンガの単行本、3冊の仕事が終わったところ
という凄いシンクロ展開!
編集長さんがシナリオ作家さんのプロフィールを私に送って下さって
ビジネス系のマンガ本のヒット作を何本も手がけている
その道の最高の方ということが分かったので、
すぐに「お願いしたいです」と回答し…
1週間後(11/1)に3者でミーティングをして企画内容を話し合ったら
3日後にシナリオ作家さんから構成案が送られてきて
お仕事が早くてクオリティが高い!!!
私もすぐに構成案にフィードバックして
超ハイスピードの共同作業が始まったのでした。
マンガ家さんが決まるまで、ひとり、ふたり、3人目…
と3週間かかってしまったのだけれど、その最後のかたが
通常では考えられないタイトなスケジュールをお受けして下さり
しかも手描きということで(最近はパソコンで描くかたが多いそうです)
良い作品に仕上がりそう♪
マンガ部分は120ページで、文章は60ページの構成。
マンガは「図解」ではなく、しっかりストーリーがあるんです☆
主人公は25歳のOL、かすみちゃん。
ひょんなことから私に出会い、瞑想をし始めることに。
仕事も恋愛も、シンクロで願望が叶っていくラブコメ仕立て?
楽しくストーリーを読み進めながら瞑想ができるようになっていき
瞑想をしていると日常がどんな風になっていくのか疑似体験できる
そんなマンガ本で、60ページの文章部分は
1冊目、2冊では書ききれなかった
新しい内容を盛り込もうと思っています♪
こちらはマンガ家(雨川みう)さんが私に会う前に
描いてくださった「アイコ先生」の下書き。
最終的にはどんな感じになるのかしら。
「アイコ先生」はマンガの中でも結構、出ずっぱり?な感じ☆
そして、構成・シナリオ・マンガの下書き…
それぞれの段階で私からフィードバックしていくのですが
その際にちょいちょいコメディタッチな、ププッと笑える?要素を
入れ込んでもらっています♪
やっぱり笑いがなくちゃね!
・・・というか今年、お笑いをよく観るようになって
だんだん私がお笑い化しているというような???
一体どこに導かれていっているのでしょう~~?!

10年前に株式会社ボディ・マインド・スピリットを設立した頃から
平たく言うと(?)いわゆる「スピリチュアル業界に参入」したわけで
突然、サイキック能力がある人たちと出会うようになってきたのでした。
様々な手法のリーディングやチャネリングで過去生などを視ることが出来る人たちや
催眠療法などで過去生退行を促していくセラピストさんたちの
個人セッションを(ご挨拶がてら)受ける機会も多くなってきて
当時は特に何の悩みも無かったので、どんな過去生があったか教えてもらっても
見せられても、「そういう人生があったんだ~」と、
まるで一つの映画を観るような、娯楽のひとつのように捉えて楽しんでいたのでした。
(瞑想の効果も1年近く信じなかったぐらい、疑い深い性質のようなので!
ちなみに瞑想の効果はいつ信じるようになったかというと、
瞑想ティーチャーになって教えた方たちに同様な現象が起きて来て、それでやっと、だったのです ^^)
それが、約7年半前に関節リウマチを発症して(当時のブログ記事はこちらをクリック☆)
そこからは、もう少し真剣に過去生を探るセッションも受けて行ったのですが
それでもどこかで「本当にそうなのかな~?」と疑いながら
面白がっている自分がいました。(つまりまだ娯楽のレベルだったということ)
昨年2月に、1年間だけ試したリウマチ薬治療の「断薬」に成功して
4月からヒップホップを始め、自転車で7駅分ぐらい走れるようになり
(その間に1作目の「世界のエリートはなぜ瞑想をするのか」を執筆し)
6月からベリーダンスを始め、7月には銀座のレストランでショーに出たり
ヒップホップのダンスライブにまで出演して動き的にも完全復活したところ
(きっとやり過ぎたのでしょう)
8月からまた新たな個所(左手首、右肘、両手の親指など)に関節炎が始まり
「グルテンのせいかな?」と食事制限で治そうとしているうちに
12月にはそれまで関節炎を起したことがある
すべての箇所(全身20か所)が激痛になっていたけれど、鎮痛剤も飲まず
「糖質のせいかな?」と、まだ特定の食品を避けることで
痛みをコントロールしながら(また実験好きでもあったので…もう終わりにします☆)
2作目の「運のよさは瞑想でつくる」を執筆し、
あとはアーユルヴェーダのオイルトリートメントを月2回受けて
<ボディ>へのアプローチのみで過ごしていたのでした。
4月になって、冬に原初音瞑想講座を受講され、その後
BODY MIND SPIRIT認定の瞑想ファシリテーターにもなられた方が
長年趣味的(?)に実践されてきた
「過去生回帰瞑想」や「エネルギーワーク瞑想」の個人セッションを
私に提供して下さるということになり
BODY MIND SPIRIT表参道サロンで受けたところ
全身20か所の痛みがそれぞれ、いずれかの過去生で損傷した箇所に対応していて
魂としての情報エネルギーそのものを解放していく必要があると分かり
かなりの分量があるので5月にも表参道でお会いする約束をしたところ
「その週末は金・土と京都でお坊さんたちとこのワークをするんですよ」
と話されて、
「私は土曜の夕方から大阪で瞑想会、翌日は瞑想講座なんですよ」
とスケジュールがシンクロして
土曜日の午前中に京都のお坊さんたちと一緒にセッションを受けることに。
京都に行く前、表参道サロンでのセッションでは
「過去生回帰瞑想」をそのかたが誘導して
全身20か所の痛みの原因となっている過去生を自分で見にいくというものでした。
私は特に、この「自分で見にいく」というタイプのセッションが
苦手だったので、どうなんだろう?とは思いましたが
目を瞑って誘導されていき、「何が見えますか?」と聞かれると
脚が見えます…。 男の人の足…。
古代のギリシャ風の編み上げたサンダルを履いてます…。
「名前は?」 オシウスです。 (名前がパッと浮かんで来てビックリしました)
「年齢は?」 …40代前半です。
「結婚していますか?」…いいえ、独身です。
「それでは今の体の痛みを作りだす原因となった出来事の30分前まで行って下さい。
何が見えますか?」 と聞かれると
ギリシャの有名な神殿が見えます。 …パルテノン神殿。
「それはどんな出来事ですか?」
パルテノン神殿の神官のトップを決めるイベントで、最終審査の日です。
それは、痛みの我慢大会のようなもので、私はライバルに負けてしまいました。
「どんなことを感じていますか?」
敗北感…、悔しさ…、絶望…、虚無感…
若い時から全人生そのキャリアにかけて神殿に尽くして来たのに
痛みに耐えられなかったが為に全てを失ってしまった…そんな感覚です。
「それではその人生が終わった時まで行ってください。何が見えますか?」
大きな岩がそびえ立っている岩場です。
私は高台から飛び降りて、ひとり孤独に死んでしまいました。
それは自殺ではなく、神官トップを決める最終審査で負けたことが悔しく
その後も究極の痛みに耐えるための修行を続けていた一環で
高台から飛び降りて全身の激痛に耐えるつもりが命を落としてしまいました。
「では死後2時間経ったオシウスさんの魂からメッセージを受け取って下さい」
なんておろかだったんだろう。
痛みを耐えることなんてどうでも良いことなのに、それで命を落とすなんて。
神官のトップを目指して競争心だけで生きてしまった。
もっと人生を楽しめば良かった。
「その魂から、あなたの痛みを解放するためのアドバイスを受け取って下さい」
今のあなたにとって痛みに耐えることとキャリアは何の関係もない。
最新の医療・薬も利用すべきところは利用するといい。
これ以上、痛みをがまんしないように。
家族との時間を大事にして、喜びの人生を歩んで行って下さい。
そこで古代ギリシャ時代のオシウスさん過去生のセッションは終わり
もうひとつの過去生を見にいったところ
ルーマニアのハンスという32才の戦士で、
敵国に捕まっても拷問に屈せず全身打撲で死んでしまい
妻のルイーと生まれたばかりの赤ちゃんを残して行った
そのハンスからのメッセージは
国への忠誠心よりも自分の命を大切にすべきだった。
全体の改善よりも、自分をまず大切にしてほしい
家族との時間を大切にして…と、ここは共通のメッセージでした。
その翌々日が、もう京都でのお坊さんたちとのセッションで
会場に到着すると、2人のお坊さんのうちひとりが来れなくなった
ということで、いらっしゃった方のお名刺を頂くと、有名なお寺のお坊さま。
無口でシャイな感じ?ちょっと気まずい雰囲気の中、
セッションが始まり30分位経った頃。
「質問はありますか?」と言われて
なにか楽しい話をしませんか?
お二人とも、本業とは別に、ボランティア的に
この「過去生回帰瞑想」や「エネルギーワーク瞑想」を
休日返上でセッションを提供して下さるのはどうしてですか?
と聞くと、無口だったお坊さんが口を開き
このワークがどれだけパワフルかということ、
これこそ自分の心の中での本業で、これに如何に懸けているか
ということを情熱的に語り始めたのでした。
そして、初めて私の目を見て
「実は、ギリシャのパルテノン神殿でのライバルは私だったんです。
その過去生だけでなく、私は愛子さんの今の痛みを作りだした原因となる
あといくつかの過去生で愛子さんを痛めつける側の人間として転生しました。
だから最初は目を見ることができなかった。
一緒だった過去生において愛子さんは常に善というか光の側の目立つ存在で、
私は悪というかダークサイドから愛子さんの推し進めることを妨害し
封じ込める役だったんです。
愛子さんの遠隔ヒーリングを匿名で彼から依頼されて
過去生回帰瞑想とエネルギーワーク瞑想をしている間中
鮮明なイメージが蘇って来て、見たくなくても見せられてしまいました。
ちなみに私と愛子さんは同い年だったりします。」 (シンクロし過ぎ!!!)
それを聞いて私は、
なんと!それで今生、ヒーラーという役割で
私と再会しているということは、カルマの解消的にすごいことですよね!
嬉しい♪ 私も全てを解放させて完治する時が来ているということ☆☆☆
と大興奮。
聞くと、お坊さんになる前にその方と出会っていて
過去生回帰瞑想を教わることになり、自分が過去に行ってきたことに
直面せざるを得なくなって、深い反省の念から出家したとのこと。
もうダークサイドは流行りではないので、光の側に行く
…と意外と軽いノリ?!
これまで過去生とか実のところ信じてこなかったのだけれど
ここまでシンクロして過去生でご一緒した人の証言?があったりすると
信じざるを得ないというか、真実味を帯びてくる~…
その方もお坊さんたちも何故この過去生回帰のワークが
パワフルだと考えているかというと、十数年前までは
こういった過去生のカルマやトラウマは解消する方法がなくて
ただ積み重ねて、同じパターンを繰り返して行くだけだったのが
魂の持っている情報とエネルギーに働きかけて
書き換えて行くことができるようになった。
つまり未来を創り変えることができるようになった
ということ。
先月リリースした翻訳本『あなたの運命は「意識」で変わる』
のテーマともシンクロしてるかも☆
意識に働きかけ、解放し、自由に人生を選択して行く
素敵な時代に生まれて来ましたね♡♡♡

私の2作目で「世界のエリートはなぜ瞑想をするのか」の続編にあたる
「運のよさは瞑想でつくる ~意味ある偶然をマネジメントする方法~」が
本日発売になりました☆
書店にはきのうから並び始めたようで、発見された方々からの
写メール報告が相次ぎ、何だか嬉しい♪
今回はこの2作目の発売に合わせて
「渡邊愛子のオフィシャルウェブサイト」
aikowatanabe.com をリリースしたのですが
これがまた見事なシンクロニシティによって創り上げられたのでした。
最初のきっかけは、処女作のセカエリ
(出版社さんの社内で「世界のエリートはなぜ瞑想をするのか」が略称で呼ばれておりまして^^)
が発売された直後(昨年の10月)に、
担当の編集者さんを通じて約1年前にお会いして(ノリが合うな~☆と思って)いた方が
書籍プロモーション会社を経営されていたことを思い出して
何となくその方にセカエリの販促をお願いしたいなと感じたので
編集者さんをつうじて連絡をとったのです。
それで、お打合せをすると
通常は本が出版される数か月前からプロモーションを始めるスタイルなので、
セカエリはもう発売されてしまっているから「ウーン…」と難しそうにされていて…。
「あ、そういえばセカエリの発売直前に、別の出版社さんから
『シンクロニシティと瞑想に関する本』の執筆依頼が来たんですよ。」
と言うと、
その方も<シンクロの連続で今の成功につながっている>
という話になり、
私がもし「ミス・シンクロ」だったら「ミスター・シンクロ」
または「シンクロ女」と「シンクロ男」?!
ということが分かったんです。
そこから話がノリノリになって、
「じゃあ2作目のプロモーションを請け負う、その一環としてセカエリも宣伝しましょう。」
ということで即・契約することになり、
去年の11月から始めてもらったのでした。
それで、2作目については本のキャンペーンページを作って
そこにインタビュー動画とか、推薦者からのメッセージとか
本の目次や、著者プロフィールなどを載せますから。
(それが本日公開の、このページです!)
と聞いた時に、ふと10年前にaikowatanabe.com
というドメイン取得していたことを思い出し、
いつか使う時が来るだろうと10年間ドメイン維持費を払い続けていたわけですが
「今がその時でしょう」と感じて、
2作目に合わせて著者サイトを作ろうと決めたのでした。
で、その後チョプラ博士の『あなたの年齢は「意識で」決まる』の翻訳で忙しくなり
それからこの「運のよさは瞑想でつくる」を書き上げたのが今年の1月中旬。
「あ、著者サイト作らなくちゃ!」と思って、10年前の起業当初から
BODY MIND SPIRITのロゴまわりのコーポレートデザインを担当して下さっていた
デザイナーさんに依頼してみたところ、別の案件で忙しくなっていることと
ウェブは得意分野ではないので…とお断りされてしまったのでした。
でも彼のテイストで aikowatanabe.com は作ってもらいたい…
と諦めきれず、
他の人や制作会社を探したり、ということもせずにいたら
2月に入ってしまい。
そろそろ著書のキャンペーンページを作らないと、ということで、
書籍プロモーション会社経営のかたは会長さんになっていて
若社長さんが表参道のサロンまで打ち合わせに来て下さいました。
いらっしゃるなり「行きつけのバーがすぐ近くにあるんですよー」と
シンクロ話から始まり、書籍キャンペーンページの詳細も詰めて
「あっ、そういえば aikowatanabe.com という著者サイトを作りたかったんですが
いつもお願いしているデザイナーさんが忙しいのとウェブは専門じゃないということで
断られちゃったんです…」 と言うと
「あ、僕、いい制作会社、知ってますよ。僕のページもデザインしてもらって
とってもセンスいいんです!紹介しましょうか?」
という話になり
会長さんが後から打ち合わせに参加の予定が
「遅れます」という連絡があり
待っている間、そのウェブの制作会社の方に電話をかけてくれたり
いろいろその件について時間を割いて下さったのでした。
まずウェブ制作会社の社長さんとFacebookでつながると
共通の友人でセットユウイチさん
(私が地方都市でトークイベントをする際にコラボで出演して下さったり
場所によっては主催もして下さっている方☆ 福岡・大阪・仙台・札幌でご一緒します)
がいたことで、お互い「セットさんとはすごく親しいです!!!!」
と、最初から盛り上がり
制作実績を見せて頂くと、なんとMDNA SKIN のサイトも手がけていらっしゃって
「愛子さんがご希望のスタイリッシュな感じも出来ると思いますよー」
ということで、
元々はトップページの画像だけお願いしようと思っていたのだけれど
ご紹介プラス共通の親しい友人というシンクロで、
サイト全体をお願いすることに決めました。
でもウェブ制作会社さんは大阪にあって
「ときどき東京に行く用事があるので、タイミングが合えば…」
ということだったのですが、2作目の発売まであと1ヶ月ちょっと(汗)
それから2~3日経って、そのウェブ制作会社の社長さんから
「来週、東京行くことになったんですが、2/18(木)の10:00~14:00の間で
打ち合わせの時間とれますか?
ちょうどデザインディレクターも同行するんです。」
と連絡が入りました。
その日は14:30から瞑想講座のマンツーマンレッスンが入っていたので
「表参道であれば14時まで時間あります。
午前中も空いているので、もしかしたら…撮影もできちゃいますか?」
と聞くと
「あ、できますね。ちょっと待ってください。カメラマンの予定、確認します」
と、その後すぐに返事が来て
「東京在住で、よくニューヨークで仕事してる女性フォトグラファーが
人物を撮るのが最高にうまいんですが、その日だけ奇跡的に空いてました!撮影しましょう。」
ということになり、
「あ、私のイメージブランディングコンサルをして下さっている女性が
撮影の時はヘアメイクもしてくれるのですが、彼女の予定を確認します!」
と確認すると
ちょうどその日の午前中であれば!ということで
撮影スタジオも表参道で見つかって、
「5日後」という短い設定だったのに、
必要な人たちが全員結集することになったのでした!
女性フォトグラファーからは
「撮影前に1時間ぐらいSkypeでインタビューしたい」
ということで、
なぜか質問内容は家族構成や先祖の出身地までさかのぼって
私のルーツ探しをしているようでした。
最後には「うん!分かりました。撮影準備OKです!」ということで☆
そして急きょ出来上がった強力な制作チームと
イメージブランディングコンサル結果も共有し
サイトのラフデザイン作業がスタートし、
撮影の日を迎えたのでした。
フォトグラファーさんがアメリカで買ったという
風を吹かせる装置も持って来て下さって
撮影の後半は「風」!
どうやら風に吹かれてからの表情が、素の私が出てきたよう☆
最後に、フォトグラファーさんが「背景をグレーで撮影しておきたい」
ということで、その結果、背景グレーの、風吹きバージョンの写真が
ベストショットとなり新しいプロフィール写真となったのですが
その1週間後に出来上がってきた2作目の表紙の色とシンクロ!
撮影後のランチミーティングでは、
最強メンバーが奇跡的にこの日に結集できたことを
感慨深く振り返っていたのですが
「ちょっと待って下さい。私が1月の新月の日に書いた願望リスト…」
とスマホのノートを開いてみると、書いてありました!
「私の最高のイメージ写真が掲載された、素敵でスタイリッシュな
aikowatanabe.com が創造される♡」
と。
偶然をマネジメントするケーススタディ、番外編でしたー!
( 「運のよさは瞑想でつくる」~意味ある偶然をマネジメントする方法~
の第4章と5章は、シンクロのケーススタディなんです☆☆☆)